『東京国際音楽祭』では、音楽の振興と文化を次世代に継承、普及させるとともに、子どもたちや青少年にさまざまなジャンルの音楽を通じて、友好・親善を深めることを目的とし、東京から世界へ羽ばたく音楽人を応援するプログラムを展開。
『東京国際音楽祭 〜Tokyo International Music Festival “戦後、歌謡曲はジャズだった”2』制作発表記者会見に出席した(左から)スインギー奥田、マリーン、松崎しげる、Meri (C)ORICON NewS inc.
8年ぶり2回目となる今回に出演する松崎は、「幼年期から服部良一さんの音楽に触れて育ち、そして息子の克久さんとは何度も仕事をしましたけど、すばらしい作曲家であり、すばらしいアレンジャーだった。一緒に仕事ができたことは人生における財産ですね」としみじみ。
『東京国際音楽祭 〜Tokyo International Music Festival “戦後、歌謡曲はジャズだった”2』制作発表記者会見に出席した(左から)スインギー奥田、マリーン、松崎しげる、Meri (C)ORICON NewS inc.
同プログラムは、「東京から世界へ羽ばたく音楽人を応援する」という目的のもと、次世代のミュージシャンも多く出演する。松崎は「自分も年を取っていられないなと思うんだけど、周りがどんどんいなくなっちゃうからさみしい」と本音を吐露しながら、「ミッキー・カーチスさんや堺正章さんなど、先輩たちが楽屋話をよく聞かせてくれて、そこでステージの見せ方や立ち居振る舞いなども学ばせてもらったんです」と回顧。
『東京国際音楽祭 〜Tokyo International Music Festival “戦後、歌謡曲はジャズだった”2』制作発表記者会見に出席した松崎しげる (C)ORICON NewS inc.
近年は「デビューから54年。前立腺をやったり耳や目が悪くなったり…さまざまな変調はあります」とこぼすが、「マイクを持つと誰よりも大きく、ハキハキと歌える。ですので、ステージに立っているときは74歳に見えないと思いますよ(笑)」と胸を張る。
そして「ステージに立ったらベテランも新人もない。僕自身、若いミュージシャンの演奏や歌を聞いて、ファンになるほど感動することも多いんです。そういうエモーションをくれる音楽は、僕の唯一の栄養源ですね」と笑顔を見せつつ、「先輩たちの背中はやっぱり大きかった。僕の背中がどうかはわからないけど、残された身としては、できる限りどんどん発信していきたいと思う」と言葉に力を込め、「発信するには元気がなきゃいけない。老体にムチ打ってがんばりたいと思います」と笑顔を見せた。
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