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GLAY・TERU「継続すること」を模索し続けた30年、「声の劣化は、“人生の色合い”」
高いキー設定に悩みも「TERUが歌うことに意味がある」TAKUROからの言葉
「歌詞をちゃんと伝えられる。それがGLAYの良さだと思っています。僕たちがデビューした当時は、洋楽を起点にした言葉の発し方が多かった時代でもあります。そのなかで、GLAYというポップなバンドが誕生して、色々な方々に受け入れていただき、30年も活動を続けることができました。これはバンドとして守っていきたいものでもあります。ビートでありポップ、そういったものを守れる日本のバンドでありたいです」
――ポップという言葉は、今回の17thアルバム『Back To The Pops』にも使われています。
「やはり自分たちの根幹には、それがあるんですよね。30年続けてきて、ようやく自分たちが受けた影響を隠さずに出せる自信がつきました。僕は今回の楽曲に関して、ちゃんと言葉を伝える。そして音楽と言葉の気持ち良さをそぐわないように歌うことに特化してレコーディングしました。僕らの楽曲をずっと聞いてくださっている方には『素直な歌い方になっている』と言われるかもしれないけど、それが今回の挑戦でもあるんです。これが10年後、20年後、どう進化しているかわからないですけど、僕はこれからもこの楽曲たちの細部を突き詰めていきたいと思っています」
――“歌い方”という意味では、年齢を重ねるに連れて変わっていく部分もあると思います。TERUさんは、ご自身の歌声の変化をどのようにとらえていますか?
「今まで、キーの高い楽曲も多かった。でも過去の楽曲を歌えないとなるのは、さびしくもありますし、何よりファンの子たちを悲しませたくはない。キーを下げて歌うのは、他のアーティストさんのライブを見ていて、そういうこともあるとは思うんですけど、僕の場合は違うんだろうなと思って。そこからまたもう一つ、自分の未来を考えた時に、60歳、70歳になっても歌い続けられる歌い方と、継続できる歌い方が一番大事だと僕は考えています。もはや、僕の中ではキーを下げることが是なのか悪なのかという問題ではなくなっていて、継続をするためにはどうするのかを考えています」
――今、試行錯誤している最中だと言えますか?
「今回のアルバムも、TAKUROから楽曲を受けたときに、『これ、キーどうしよう』と悩みました。新しいアルバムの『さよらならはやさしく』という楽曲は、ハイトーンな曲なのですが、地声でいくのか、ファルセットでいくか、それともミックスなのか。その時にTAKUROが『いや、TERUの自由でいいよ』 と言ってくれたんです。『これで頑張って地声で歌ったからといって、すべて良い方向に行くわけではないし、ファルセットだからといって魅力が半減するわけでもない。TERUが歌うことに意味があるよ』って」
――取材陣、感嘆。
「今は原キーで、地声で歌えたとしても、いつか必ずそれができなくなる時が来るのを僕自身は感じているんですね。年齢を重ねれば重ねるほど、“声が劣化する”という言葉が使われると思うんですけど、どんどん落ちていくのは事実なので。それでも僕は人生のなかで、ボーカリストとしてそれが悪ではなく、それも“人生の色合い”なんだろうなととらえています。今はそういうところを考えながら、キーを設定して、歌い方を決めています。これはなかなか難しい問題で、実際に60歳も迎えていないし、70歳にもなっていないので…今後どうなるか分からないですが、そういう気持ちで僕ら世代が音楽をやるのもいいだろうと。僕の夢としてはいつまでもアリーナやドームツアーをやり続けられるバンドでいたい。それは絶対にボーカリストが鍵を握っていると思うので、シビアに考えていきたいと思っています」
“刹那こそが美学”当時の風潮も、長く続けるにはどうすべきか模索した30年
「そうですね。特に先輩であるB'zの稲葉(浩志)さんの姿勢を見ていると、ボーカリストはアスリートに通ずる部分があると考えさせられるんです。アスリートが自分の競技と向き合うように、自分の歌と向き合わないと現役でいられる期間も短くなってくる。より長く、密度の高いものを提供していくためには、ちゃんと向き合って、自分の声や身体というものをきちんと理解した上でやっていかないと、長続きしないという恐れはあります。稲葉さんにはそれがあるから、還暦を迎える今の年齢になっても、ハイトーンで歌えることができるんだろうなって」
──この8月は稲葉さんの函館でのソロコンサートに、TERUさんが飛び入りしたことも大きな話題となりました。
「あの後もご飯をご一緒して、たくさんお話を聞かせていただきました。自分の前を第一線で走っている先輩がいることはすごく心強いですし、その姿を落とし込んで自分はこれからどう走っていくのか、というところに来ているように感じています」
──高校時代に結成したGLAYは今年デビュー30周年。当時ここまで続けていると想像はできていましたか?
「当時のロックバンドって、刹那こそが美学であるみたいな風潮があったんですよ。まして僕らはBOOWY世代ですし、絶頂期で解散する姿を目の当たりにしていますから。そういう姿に憧れていたバンドもたくさんいたと思います。ただ僕は野球少年だったこともあって、昔から"継続は力なり"という言葉が好きなんです。だからGLAYの目標は『長く続けること』と言って、周りから『え?』って顔をされることはしょっちゅうありました(笑)」
──TERUさんの“継続”という信念もまた、GLAYがメンバー1人欠けることなく突き進んでこられた理由なんでしょうね。
「どうなんでしょう。ただ、継続することでしか見られない景色は絶対にあると信じていますし、その景色をファンのみなさんと共有できるバンドに進化できたのかなと感じています。この間、HISASHIがライブで『ずっと一緒にやっていこうな』って言った時には、みんなホロリとして。普段そんなこと言わない人が言うと、こんなに感動するんだなと思いましたね。僕なんかいつも継続、継続って言っているからスルーされがちなんです(笑)」
――バンドのあり方として変化した部分はありますか?
「7年ほど前に北海道・函館にスタジオを構えて、歌入れは全部そこでやっているんです。それをきっかけにメンバーも改めて自分が生まれ育った場所を振り返る機会ができたと言ってくれます。スタジオにメンバー皆で集まって、夜は皆でご飯を食べて。幼馴染や両親もそこに来て、レコーディングした曲を聴く。今までできなかったことを、楽しみながらやれていると思います。
高校時代に戻ったような、バンドをやる楽しさをあらためて実感しています。自分たちがバンドのコピーをしていた時代、BOOWYのフレーズやプリプリ(プリンセス プリンセス)のギターソロを一生懸命練習していたり…そんな時があったなぁと。地元で音楽を作ることで、すごくその当時に想いが寄せられるんですよね」
――なぜ4人が関係性を保てていると思いますか?
「仲の良さもあると思うんですけど、リーダーであるTAKUROの力が大きいと思っています。日頃からメンバーが何をやりたいのか、今どういうモードなのか、察知能力がすごいので。『4人一緒に同じ気持ちでやれることしかやらない』とまとめてくれているからこそ、今のバランスがあるんだと思いますね。安定感=TAKUROの想いだと思います」
――初の夏フェスに登場したり、11月からはツアーが始まったり、今後も様々な活動が予定されています。活動の展望は?
「メンバーとは、30周年だしやりたいことをやろうと話しています。僕らも、ファンの子たちにとっても、様々な挑戦ではあるんだけど、特に僕らのファンは同世代が多いと思うので、負担をかけることがあってはならない。今までは8月に函館の野外ライブをやったり、スタジアムライブをやっていましたけど、時期をずらしていこうと話をして、実行した年でもありました。最初の話に戻りますが、長く続けるにはどういった方法が適しているのか。それが妥協ではなくて、より良い環境でやるにはどうすればいいかを考えているからこその選択肢になっていくと思います」
〈注〉BOOWYの2番目のOは「O」に斜線
撮影:岡田一也