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電子コミック20年の歴史、厳しい黎明期に端緒を開いたのは本宮ひろ志『サラリーマン金太郎』だった

  • 本宮ひろ志先生の『サラリーマン金太郎』(C)本宮ひろ志

    本宮ひろ志先生の『サラリーマン金太郎』(C)本宮ひろ志

 8月16日は電子コミックの日。手元のデバイスでマンガを読むというライフスタイルは今や当たり前となり、マンガ市場の7割を占めるまでとなった電子コミック。しかしかつては「電子コミックはマンガ文化を壊す」と危ぶむ声もあった。その突破口を開いたのは、とある大御所マンガ家だった!? 電子コミックとマンガ業界が、いかにして共存共栄の道を歩んできたのか。業界の草分けであるコミックシーモアの立ち上げメンバーに、電子コミック20年の歴史を証言してもらった。

docomoのiモード、3G携帯、パケホーダイ…、「ケータイでマンガを読む」障壁なくなった2000年代

  • 「コミックi」のケータイ画面(写真提供:コミックシーモア)

    「コミックi」のケータイ画面(写真提供:コミックシーモア)

 日本人はマンガが大好き。スマホに複数の電子コミックサービスやアプリが入っている人も少なくないだろう。とはいえ、老若男女がより日常的にマンガに親しむようになったのは、「スマホでマンガを読む」というライフスタイルが定着してからのようだ。

 事実、1995年をピークにマンガ市場は長らく微減が続いていた。回復し始めたのは2014年のことで、これはスマホの急激な普及と重なる。その後は年々プラス成長を遂げており、2020年以降は4年連続で過去最高を更新。その7割を電子コミックが占めている。

 そもそも、人はいつからマンガを紙ではなく電子で読むようになったのか。今年で20周年を迎えるコミックシーモアに、電子コミックの黎明期について聞いた。

 「世界で初めてマンガのダウンロード販売が行われたのは1995年1月。現在は、国内である電子書店がPC向けにマンガを扱うようになったのがその始まりです。当時すでに携帯電話(ケータイ)は普及していましたが、マンガは画像が細かく、ページ数も多いため、通信速度の遅いケータイにマンガをダウンロードするというのは現実的ではありませんでした。当時はパケ死(※)というワードも時事用語になりましたね」(コミックシーモア・奥田茂さん)

 一方、携帯端末でマンガを読むトライアルは少しずつ始まっていた。

 「当社では最初、街頭に設置した『Foobio(フービオ)』という端末からPDAにコンテンツを配信するという事業にトライしていましたが、PDAの普及低迷もあってかうまくいきませんでした。しかしゲームや音楽、テキストといった配信コンテンツの中でもマンガに対するユーザーの反応はよく、『手元の端末でマンガを読む』というニーズは確実にあると実感しました。そのプラットフォームとなり得ると考えたのが、1999年2月に始まったdocomoのiモードです」(コミックシーモア・多田知子さん)

 2002年には、ケータイの通信速度を飛躍的に高めた世界初の3G携帯がdocomoから発売。2004年6月には定額通信料サービス・パケホーダイが始まり、ケータイでマンガを読むことへの障壁はなくなった。そして2004年8月、いよいよコミックシーモアの前身サービス「コミックi」が始まる。

※従量課金制の携帯電話でパケット通信(メールやネットなど)を使いすぎ、料金が高額になってしまうこと。現代の「ギガ死」とは異なる意味のネット死語。

1社1社回っても…電子に慎重な出版社、端緒開いたのは巨匠・本宮ひろ志の先見の明

 今や業界最大級のラインナップを誇るコミックシーモアだが、サービス開始当初に配信されていたのはわずか22作品だった。

 「当初は作品配信を許諾していただくために出版社さんを1社1社回ったのですが、反応は芳しくありませんでした。紙のマンガが主流だった時代、出版社さんとしては電子コミックに慎重にならざるを得ない事情もあったと思います」(奥田さん)

 そんな難しい状況の中で、電子コミック躍進の端緒となったのが、マンガ界の巨匠・本宮ひろ志先生。当初の配信作の半数以上が、『サラリーマン金太郎』や『俺の空』、『男一匹ガキ大将』といった、本宮ひろ志先生作品だったという。

 「本宮ひろ志先生は、Foobio事業の頃から電子コミックに興味を持ってくださっていたんです。そんな中、あるイベントで本宮ひろ志先生のプロダクションの方と出会い、配信に向けて前向きな話が進みました。初期の配信タイトルの多くは、本宮先生がご紹介してくださった作家さん経由で配信許諾していただいたものでした」(奥田さん)
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