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「生きていてよかった…」星野源が新人小説に衝撃、なぜ? 担当編集者が明かす異色作品の裏側「“SF色”を排除したSF小説」
「ちょっと信じられないような小説と出逢ってしまった 」選考委員らの衝撃
同作は融合手術を受けた主人公が書くという設定において、『アルジャーノンに花束を』に通じるような「文体」や「語り口」を意識した作品となっている。SF新人賞「ハヤカワ・SFコンテスト」応募作であり、SFマガジン編集長の溝口氏は読了後、SNSに「ちょっと信じられないような小説と出逢ってしまった」とその驚きを投稿した。
「最初に読み始めた時は、『アルジャーノン〜』をはじめ、こういう書き方をしたがる人っているよねと思いました。この手法で新人賞に送られてくるような作品は大体成功しないんです。考えていることに筆力が追いつかない。同作も果たしてこのテンションで最後まで書ききれているのか、半信半疑で読んだのですが…いい意味で裏切られました。見事に、これまで見たことのない境地にまで連れて行かれました」(溝口氏/以下同)
新人賞での編集部内での選考は満点。特別賞を受賞し、2023年12月号『SFマガジン』に掲載されると、今年3月に単行本化された。
「最終選考委員の思想家・東浩紀氏は『ジェンダーや性暴力の問題に正面から向かい合った作品であり、今回の候補作のなかでもっとも心に響いた』と熱い賛辞を贈っていましたし、同じく選考委員であるSF作家の神林長平氏も『旧態依然としたSF観を刷新していく作品になればいい』と口にしていました」
ただ、刊行については不安もあったという。
「個人的には衝撃を受けたものの、読者はどう思うのか。単に読みにくい作品と取られてしまうのでは。一方で、あまりにも従来のSF小説とは違うこの作品こそが、SF小説業界の抱える課題の突破口と成り得るのではないか、それは出版社としての使命なのでは、と刊行に踏み切りました」
SF小説ファンコミュニティは、50代以上の男性が主な購買層となっている。コアなファンによって支えられた業界は、文芸業界が縮小している中でも売上が落ちていないというアドバンテージがある。他方で、年々“ファン層の高齢化”が進み、新規読者の獲得が急務となっている。
同作のヒットは、まさにこの“新規読者の獲得”によるものだった。これまでのSFファン層とは異なる30代女性を中心に支持を集め、現在も売上げを伸ばしている。
圧倒的な“孤独感”、世界観そのものがボカロ世代にマッチ
作家・小塚原旬氏は『ここはすべての夜明けまえ』をさして「ボカロ文体である」と考察しており、実際に作中にはボカロP・Orangestar氏の「アスノヨゾラ哨戒班」も登場する。溝口氏も「同作は、ボーカロイドの曲を聞いているうちに朝になってしまったときのような圧倒的“孤独感”を楽しめる」と分析する。つまり、世界観そのものがボカロ世代にマッチしたということだ。
そもそも、多様なエンタメコンテンツでSFをベースにした作品群が日々量産される中で、「SF小説」が若年層をはじめとする新規層を獲得できないという理由はない。現在のエンタメシーンのトップをひた走る庵野秀明、山崎貴、樋口真嗣らクリエイターのほとんどが古典的なSF小説を下地にした作品の影響下にある。現在進行形の人気作品にもその血が継承されていることから、「若年層=SF嫌い」の図式は成り立たない。それにも関わらず、昨今のSF小説業界では新規層の獲得が課題となっていたわけだが、『ここはすべての夜明けまえ』は、従来のSF作とは「根本的に目指している方向が違う」と溝口氏。
「この作品は、SFの手法としての斬新さはありません。この作品の新しさを何かと考えたとき、浮かぶのは90年代。当時は、映画化もされた『ファイト・クラブ』という作品を書いたチャック・パラニュークをはじめ、煽情的で社会に対して冷めた内向的な語り口で自分のことをぶつぶつと喋っているタイプの作品が流行ったのです。村上龍さんの『トパーズ』などもその文脈でしょう。こうした90年代的な語り口を、2020年代の社会問題と混ぜ合わせ、現代のリアルなトレンドを盛り込んだ点が、本作の新奇性のひとつではないでしょうか」
また、同作にはゼロ年代に国内で流行した「セカイ系」(主人公とヒロインらの小さな関係性が、中間項を挟むことなくダイレクトに世界の危機やこの世の終わりといった抽象的な大問題に直結する作品群)の影響も見られると語る。
SF小説でありながら “SF色”を排除したことでジャンルを超越
「固定ファンに支えられているSFは、いわゆる“ジャンル読み”されやすい市場です。一方で、 ファン以外にはSFというだけで難しそう、と敬遠されている側面がありました。『ここはすべての夜明けまえ』は、弊社編集部の塩澤が選考時に「文芸としての端正さと真摯さに圧倒された」と講評したように、高い文学性を帯びた作品です。そこで、敢えて装丁やコピーにSFという言葉は用いませんでした」
SF小説でありながら “SF色”を排除した同作は、結果、文学賞「三島由紀夫賞」の最終候補に選ばれるなど、SFという枠を超えて幅広い層から注目を集めることになった。
90年代的な語り口の中に、ゼロ年代や現代のエッセンスを織り交ぜ、“SFらしさ”よりも文学性を重視したSF小説――。実は作者である間宮改衣氏は「書いている途中は誰にも読まれないかもしれないと不安だった」と話している。現代のエンタメのヒット作に求められるのは、ジャンルや定番といった安全地帯から飛び出す勇気と、世代を超えたボーダレスな展開なのかもしれない。
(取材・文/衣輪晋一)