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【インタビュー後編】『魔女の宅急便』作者・角野栄子、89歳でも現役 本格的なデビューは42歳「それまで心底好きだと思ったことなかった」
89歳で現役作家のパワフルでチャーミングな生活に4年間密着 62年ぶりの再会も
――4年間に渡る密着撮影はいかがでしたか?
角野栄子私、密着って初めてでした。さすがに長くて、ちょっと疲れたね(笑)。日常生活の中でいろんな質問をされて、それを考えながらお答えしていくのは、そんなに簡単なことではなかったです。でも私、意外と平気なのね。図々しいのかしら(笑)。講演でもなんでも緊張したことはないの。自分をよく見せようと思わないで、そのままで喋っちゃう。それでいいと思ってるからね。
――特に印象に残っているシーンは?
角野栄子海に行って、水に足を入れるところかな。裸足で気持ち良かったし、脚が綺麗だって言われたの(笑)。それが一番印象的でした。私、海大好きだから。
角野栄子あそこは、映画に入れないでって言ったの。自分が泣いてるのって恥ずかしいから。でもちゃんと使われていましたね。
35歳で作家デビュー「生まれて初めて、心底好きだと思えることに出会えた」
角野栄子早稲田大学時代の恩師から声をかけられたのがきっかけなのですけど、最初はお断りしました。書いたことなかったですし。でも強く勧められて、何度も書き直しているうちに、「私はこれが好きだ」って思ったの。私は生まれてから心底好きだと思ったことがなくて、そんな風に思えたのは初めてでした。これは一生やっていこうと思いました。
――それから作家を目指されたのでしょうか?
角野栄子いいえ、それから7年間は自分一人で書いていました。誰にも見せないで。見せて何か言われるのは嫌だから(笑)。誰にも見せないと思ったら何でもできるのよ、人って。絵でも何でも、人に見せようと思うと堅くなっちゃうけど、人に見せなければ何でもできる。自由なのよ。私は自由でなければ何も生まれないと思っているから。
角野栄子そうね。私は書くことを勉強してないから、自分の中にいろいろ雑念が入ってくるの。友情とはこういうものだとか、ここはこうじゃないといけないっていう。でもそうじゃなく、自由に書いていいんだと思えるまでに7年かかったんですね。
――そうして本格的に作家になられたのは42歳の時。それまで自分のやりたいことに出会えない焦りはありましたか?
角野栄子まだ子どもが小さかったので、勤めには出られない。夫は仕事で忙しかったから、家で娘と2人っきりですよね。家にいる時間、大人の会話はないわけです。その時、何か自分が生き生きとできるものがあったらいいなと思ってました。そこにぶつかったのが“書く”ってことです。何もなかったところに飴が与えられて、それが美味しかったって感じね。
“好き”だけで45年、ボケたら絵を描けばいい「人の目を意識するから自由を失う」
角野栄子そういう時は散歩したり、コーヒーを飲みに行きます。また書いている時は、なるべく良い気持ちの時に終わるようにしています。「よく書けたな。これからどんどん面白くなりそうだな」というところで終わるの。そうすると、次に書く時が楽しみでしょ。「これ本当に嫌だ、ダメ」と思ってやめたら、次に続かないから。
――89歳になられた今も毎日執筆されている原動力は何ですか?
角野栄子書くことが好き、ということが大前提でしょうね。そこから次々と面白いことが出てくるから。密着番組を作ると聞いたときも、面白そうだなと思って「やるわ」って言っちゃう。それが私のいけないところ。楽しそうだと思ったらやりたくなってしまうの。
角野栄子何歳までって決められないですよ。頭が働かなくなったらダメだけど、そしたら絵を描くわ。絵は小さい時から描くのが好きでね。物語を書く時には、まず絵を描いてから始めるんです。絵を描くと、その世界に入っていけるんですよ。舞台になる街が見えてきたり、キャラクターの性格が見えてきたり、セリフが見えてきたりするの。
――今若い人や定年を迎えた人で「何もやりたいことがない」という人もいますが、角野さんのように好奇心旺盛でいるためのコツはありますか?
角野栄子若い人で何もないっていうのは、ちょっと良くないわね。だけど、お年寄りが何もないというのは分かります。そういう時、私なら「絵を描いたら?」って勧めます。「絵なんて書けません」って、みんな言うんだけど、人に見せなければ描けますよ。文章でも俳句でも、人の目を意識するから自由を失うわけです。人に見せなければ、冒険ができますから。
角野栄子
東京・深川生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て24歳からブラジルに2年滞在。
その体験をもとに描いた『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』で、1970年作家デビュー。代表作『魔女の宅急便』(福音館書店)はアニメ作品として映画化され、その後舞台化、実写映画化された。紫綬褒章、旭日小綬章を受章。2018年に児童文学の 「小さなノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞を、日本人3人目として受賞。
東京・深川生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て24歳からブラジルに2年滞在。
その体験をもとに描いた『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』で、1970年作家デビュー。代表作『魔女の宅急便』(福音館書店)はアニメ作品として映画化され、その後舞台化、実写映画化された。紫綬褒章、旭日小綬章を受章。2018年に児童文学の 「小さなノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞を、日本人3人目として受賞。
映画『カラフルな魔女〜角野栄子の物語が生まれる暮らし〜』(外部サイト)
1月26日(金)角川シネマ有楽町ほか全国ロードショー
語り:宮崎あおい(崎=たつさき)
88歳、「魔女の宅急便」の作者が贈る、毎日を輝かせる魔法。
「魔女の宅急便」の作者として知られる、児童文学作家・角野栄子の日常に4年にわたって密着したドキュメンタリー。 鎌倉の自宅では自分で選んだ「いちご色」の壁や本棚に囲まれ、カラフルなファッションと個性的な眼鏡がトレードマーク。一方、5歳で母を亡くし戦争を経験。結婚後24歳でブラジルに渡り、35歳で作家デビューするなど、波乱万丈な人生を歩みながら、持ち前の冒険心と好奇心で幾多の苦難を乗り越えてきた。“想像力こそ、人間が持つ一番の魔法”と語る角野栄子とはどういう人物なのか?88歳のキュートな“魔女”が、老いや衰えさえも逆手にとって今もなお、夢いっぱいな物語を生み出す秘訣とは―。
1月26日(金)角川シネマ有楽町ほか全国ロードショー
語り:宮崎あおい(崎=たつさき)
88歳、「魔女の宅急便」の作者が贈る、毎日を輝かせる魔法。
「魔女の宅急便」の作者として知られる、児童文学作家・角野栄子の日常に4年にわたって密着したドキュメンタリー。 鎌倉の自宅では自分で選んだ「いちご色」の壁や本棚に囲まれ、カラフルなファッションと個性的な眼鏡がトレードマーク。一方、5歳で母を亡くし戦争を経験。結婚後24歳でブラジルに渡り、35歳で作家デビューするなど、波乱万丈な人生を歩みながら、持ち前の冒険心と好奇心で幾多の苦難を乗り越えてきた。“想像力こそ、人間が持つ一番の魔法”と語る角野栄子とはどういう人物なのか?88歳のキュートな“魔女”が、老いや衰えさえも逆手にとって今もなお、夢いっぱいな物語を生み出す秘訣とは―。