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吉野家、焼失・倒産・BSEも乗り越え120年… “単品だけで勝負できない時代”でも牛丼に懸ける矜持
魚市場で働く食のプロが認めた牛丼 当初は焼豆腐や筍も入っていた
吉野家広報・寺澤裕士さん創業者の松田栄吉が、牛バラ肉をご飯にかけた“牛飯”が流行り始めていたのに目をつけ、東京・日本橋の魚市場で商売を始めたのがきっかけです。魚市場での仕事は重労働で、食事をする時間も取れないほど忙しかった。そこで、早く食べられて、かつお腹がいっぱいになるおいしいものを提供しようと生みだしたのが牛丼でした。この時はまだ牛肉は高級品だったので、今でいえばうな重のような存在だったようです。
――高価でありながら瞬く間に広まっていったとのことですが、人気の理由は何だったのでしょうか?
寺澤さん創業者の松田は元々料亭で働いていたので、他と差別化するため、おいしさにこだわり抜いて商品を作り上げました。お客様も魚市場で働く食のプロなので、おいしくなければ二度と来ない。そういった方達を満足させられる味だったことが一つの要因だったのではないでしょうか。
寺澤さん父親の松田栄吉は職人だったので、おいしさや見た目の美しさにこだわっていましたが、瑞穂はビジネスとして成功させるため会社を設立し、年商一億円という目標を掲げました。提供スピードを上げるよう商品を見直し、ここから「はやい、うまい、やすい」のキーワードが生まれました。
――具体的には、どういった変化があったのでしょうか?
寺澤さん元々は牛丼以外のメニューも販売していたのですが、多くのお客様が牛肉を食べに来ていたことから、牛丼のみの提供に。さらに、それまで入っていた焼豆腐や筍などの具材をやめ、牛肉と、タレに甘みを加える玉ねぎだけのシンプルな形に変えました。
客を減らすための値上げの挙句、倒産… 復活後も、BSEにより再び危機的状況に
寺澤さん1977年には100店舗、翌年には200店舗と出店数を増やしていきましたが、牛肉輸入完全自由化前だったこともあり、全店舗の牛肉を賄えなくなってきて。牛肉の調達が間に合わなくなってきたため、お客様の来店頻度を減らすために値上げをするという苦肉の策でした。しかし翌年、結局倒産を迎えることとなりました。
――その後1991年に牛肉の輸入自由化があり、吉野家も復活の兆しが見られました。しかし2003年、アメリカでBSEに感染した疑いのある牛が発見され、米国産牛肉の輸入ができなくなりました。
寺澤さん吉野家が使っている米国産の牛肉は穀物飼育で、吉野家のタレに一番合うんですよね。それ以外のものを使ってしまうと、やはり吉野家の牛丼にはならないということで、牛丼販売の休止を決断。2004年の2月には、吉野家の店舗から牛丼メニューがなくなりました。
吉野家ホールディングス広報・芥川元則さん翌日から、パタッとお客様が来なくなりましたね。私の店舗ではランチタイムにお客様が100名以上いらしていたのですが、牛丼のない吉野家に対するお客様の評価を目の当たりにしました。明確に落差を感じたのを覚えています。
寺澤さん早々にカレー丼を販売するなど、商品開発部が休み返上でメニューを考え、矢継ぎ早に新商品を出していきました。麻婆丼やいくら鮭丼など色々なメニューを出したり、朝定食を24時間提供したりと、3月に豚丼が発売されるまでは非常に苦労していましたね。
――牛丼休止から1年後の2005年2月11日、1日限定で復活した牛丼は、大きな反響を呼びましたよね。
寺澤さん米国産牛肉の在庫をかき集めて牛丼を限定販売したのですが、開店前から200メートルくらいお客様が列を作ってくださって。1時間に300名〜400名ものご来店があり、開店から牛丼がなくなるまで作り続け、皆さんが待っていてくださったことを実感しましたね。
芥川さん私の店舗も、11時開店で3時間後には全て売り切れてしまいました。
牛丼は“奇跡”の国民食、120年変わらぬこだわり「常に“思い出の牛丼”に勝る味わいを」
芥川さん変わっていないのは、店内調理をしていることですね。食材を選び抜くことももちろんですが、お店で出来立ての牛丼を作るために一人一人が常に何が最善かを考えていることは、裏返すと牛丼に対する愛情であり、従業員一人一人の1杯の牛丼に込める思いはどこにも負けないと思っています。
――店内調理の部分も、やろうと思えばコストカットの対象になるとは思いますが、クオリティーを保つために守り続けているということでしょうか。
芥川さんそうですね。387円という価格の中で、どれだけおいしくできるかは日々追及しています。例えば仕入れ環境が好転した場合、その全てを利益に回す考え方もあると思います。当社は、もっとおいしくできないか?を常に考え、牛丼を磨き続けるための原資に充てています。
寺澤さん牛鍋から派生した牛丼は、牛肉を焼くでも揚げるでもなく、しょうゆベースのタレで煮込んだことで、日本人の舌にマッチすることができた奇跡的な商品だと思います。また、老若男女問わず手軽に食べられる牛肉メニューって、牛丼以外にないと思うんです。ステーキでもハンバーグでもやはりそれなりの値段はするので、1杯387円でおいしく食べられるのは強みかなと。これからも牛丼が国民食と言われるように努力していきたいですし、牛丼に限らず、そういった商品を提供していくのが役割だと考えています。
――近年では食の多様化が進み、牛丼チェーンでも牛丼以外のメニューが多く見られます。古くから牛丼のみで勝負してきた吉野家として、どのような思いがありますか?
芥川さん牛丼だけでビジネスが成り立つ時代ではないことはやはり寂しくもあります。多様化するニーズに対応するために、吉野家もクッキング&コンフォートと呼んでいるサービススタイルの進化など、様々な取り組みをしています。ただ、おいしい牛丼をお客様に提供し続けたいという思いが根底にあるので、変わりゆくニーズに適応しながら、今後も「うまい、やすい、はやい」の吉野家の提供価値を磨き続けていきたいと思っています。
寺澤さんやはり牛丼に対するこだわりですかね。本部の人間も店長経験があり、一人一人が牛丼に対する思いやこだわりを持っていて、アルバイト従業員から社長・会長まで自分が作った牛丼が一番うまいと思っているんですよ(笑)。従業員全員がそう答えると思うので、そこが一番の強みかなと。「学生時代よく食べていた」「久しぶりに食べた」というお客様が、思い出の牛丼よりも今召し上がっている牛丼が一番おいしいと思っていただけるように、これからも日々努力していきます。