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キートン山田、44歳で仕事ない時期に出会った『まる子』が転機に 31年完走も「どこまでいっても下積み」
31年感情なし、トーン一定のナレーションに「窮屈に感じる時期あった」
キートン山田僕の想像を超えているものでしたよ。物心ついて観始めた親子三代の方から手紙が来たり、30〜40年ほど音信不通の人からもね。熱い想いを感じました。実は僕はそこまでの反響があるとは思っていなかった。ありがたいですね。そっと消えようと思っていたので(笑)。
――今、31年を振り返っていかがですか。
キートン山田よく言うけれど、今思えば長くもあり短くもあり、途中長くも感じますよね。小さかった子どもたちが3人とも結婚して、孫が6人いる。そういう変化を考えるとね、長いこと、淡々とやってきたなあと。まる子のナレーションは感情を出さないナレーションですから、一時、窮屈に感じる時期があった。もっとやりたいのにやっちゃいけないじゃないですか。あのトーンを維持しなきゃいけない。これでいいのかなと、ひとり悶々と悩んだ時期はありました。
――そんな時期が、、、
キートン山田ちょうど真ん中を過ぎたあたり、16〜7年目くらいの時、いいのかな、これでと。迷っていると声に出るんですよね。なんだか自分でしゃべっていていいのかなと思いつつ、結局は初期の映像を観直してね。何も考えず、ストンとしゃべっていたんだなって、いろいろ考えて思い直しました。なんだ、考えすぎだったと。でも、変えちゃいけないって、辛かったですよ(笑)。
――ご自身のなかで、どう折り合いをつけたのですか?
キートン山田僕も入り込むことにしたんです。あれはナレーターという役なんだと。いわゆるナレーションではなくて、ナレーターをやっている、いち出演者として溶け込むことにしたら後半は楽しかったですね。