お笑いコンビ・ナインティナインの岡村隆史による、BS朝日の冠番組『岡ぶら☆(スター)探訪』が、28日に放送される(後3:00)。前回は、若手時代から親交のある明石家さんまにゆかりのある東京の六本木と小岩で“街ぶら”を楽しむ岡村の姿を追いかけた。今回は、番組の内容をさらにブラッシュアップ。タイトルも「岡ぶら☆(スター)探訪」と一新し、昭和を駆け抜けた2人の伝説のスター、山口百恵と志村けんさんゆかりの地を訪ねていく。
街ぶらのパートナーは前回に引き続き、“新人芸人”のとこわか吾郎。新人といっても“還暦60歳”で、元は朝日放送テレビの制作局長という人物。長きにわたり、芸能界に携わってきたとこわかのナビゲートで、引退から30年以上経ったいまも多くの人を惹きつける歌姫・山口が中学生の頃まで過ごした横須賀と、岡村が憧れ続けた志村さんゆかりの地、新宿・若松町と麻布十番に向かう。
山口は、岡村が小学生のときに芸能界を引退しただけに「自分よりちょっと上の世代の方というイメージ」とコメント。とはいえ、ヒット曲を連発し、絶大な人気を誇ったことや、引退ステージでマイクを床に置く姿にインパクトがあったことなどを鮮明に覚えていると語る。そんな山口の軌跡を辿るべく、さっそく当時、山口が家族と住んでいた団地を訪ねていく。病弱な母親、6歳離れた妹との3人暮らしだったと聞き、どんな思いで日々を過ごしていたのか思いを馳せる岡村。その後、通っていた小学校、中学校、近所の商店街を訪ね、山口の面影が感じられる場所を探す。
街の人に話を聞くと、誰もが多少なりとも“百恵エピソード”を持っていて、同時期、同じ中学に在籍していた人物から話を聞くことにも成功。1970年代から80年代にかけて、人気歌手を数多く排出したオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ)に山口が出演直後、地元がどんな騒ぎだったのかリアルな体験談を語ってもらった。さらに、人気絶頂の21歳のときに俳優の三浦友和と結婚し芸能界を去ったときの地元ファンならではの心境などを聞く。
横須賀を訪れた岡村は、山口が幼いころから決して恵まれた環境でなく、多くの苦労をしてきたことを知り、強い精神力がこの地で培われたものではないかと推測。山口の心情の一端に触れるような、味わい深い街ぶらとなった。また、岡村自身からはかなり遠いものの、貴重な“百恵エピソード”があることが判明。果たしてどんなエピソードなのか。
番組後半は、岡村が「師匠のような存在」と語る志村さんにスポットを当てる。かつてフジテレビがあった新宿・若松町をスタート地点に、岡村が親交のあった志村さんとの思い出話を披露する。若松町は、若かりし頃、志村さんが下宿していた場所であり、若き岡村が旧フジテレビに通った思い出深い場所でもあり、懐かしさは人一倍。自身のコントに打ち込んだ日々や、志村さんに加えて、明石家さんま、とんねるず、ダウンタウンなど、売れっ子芸人たちが集合するのを目の当たりにし、その華やかさ・まぶしさを回顧する場面も。
志村さんと加藤茶のコント収録を見学したこともあり、多くのことを志村さんから学び、「僕の芸のほとんどは志村さんから学んだもの」と明かす。若かりし頃の志村さんが当時、通っていた銭湯のオーナーから話を聞くことに。サービス精神旺盛で漫才を披露してくれたエピソードや、ときにはお金がなくて入浴料を払えなかったという苦労話も。そんな志村さんの下積み時代を知るオーナーが、志村さんが亡くなる半年前に会ったときの思い出なども語ってもらう。
さらに晩年、志村さんが足繁く通っていた麻布十番も訪問。長く贔屓にしていた料理店のオーナーから、志村さんとの交遊録を聞く。岡村も志村さんと食事をともにすることがあったため、食事の席での志村さんや、お酒を楽しむときの志村さんのリラックスした様子をなつかしむ。
■岡村隆史
今回は山口百恵さん、志村けんさんという、大スターお二人の道のりを勉強させていただきました。百恵さんは僕自身リアルな世代ではないんですが、それでも名前を聞けばすぐわかる伝説のスターで、中学生の頃の話をうかがったら、僕なんかとは生き様がまったく違うと思いました。『スター誕生!』に出て地元で大騒ぎになっても、オーラを消していたとうかがい、その心中はどんなものだったのか知りたいと思いました。僕は全国ネットのテレビに出て地元の大阪で大騒ぎになったとき、気持ち良かったですから。肩で風切って歩いてましたから(笑)。自分と比べても、百恵さんがどんなことを考えていたのか興味があります。
志村けんさんは河田町の旧フジテレビでもご一緒する機会があり、まだちゃんと挨拶できてないときに加藤茶さんとのコント収録を見学させてもらったこともあります。お笑いに対して全力で向き合い、『バッターボックスに立たないとお笑いは起きないんだよ』とおっしゃっていたのをいまも覚えています。僕自身もお笑い番組の収録ではプロデューサーさんや演出家の方に『志村さんならどうするか考えろ』とよく言われたものです。
僕はあまりお酒が強くないのですが、志村さんにご飯に連れていってもらうようになってからは、一緒に飲むとうれしそうな顔をされていました。志村さんの前では一生懸命飲みました(笑)。失礼があってはいけないと思い、どうにか頑張りましたが、お帰りになったあとは緊張の糸がゆるんでお酒がまわって、それは大変でしたね(笑)。
百恵さんも志村さんもお若いころ、いろいろ苦労されていたんですね。だからこそ、強い精神力でスターへの階段を駆け上がったのだろうし、番組ではスターになる前の一般人だったころの貴重なエピソードも紹介します。お二人とも自分たちと同じように普通の暮らしをしてきた中で、どんな過程を経てスターダムを駆け上がったのか、興味深いと思います。
次も1970年代、80年代のスターにまつわる場所を訪ねたいです。あの年代の方って、やっぱり輝いていた人が多いというか、当時の方々の伝説をもっと知りたいです。一つ一つのエピソードが大きいし、生き様も分厚いというか。興味深いエピソードがいっぱいあるでしょうから、深掘りしたいですね。
街ぶらのパートナーは前回に引き続き、“新人芸人”のとこわか吾郎。新人といっても“還暦60歳”で、元は朝日放送テレビの制作局長という人物。長きにわたり、芸能界に携わってきたとこわかのナビゲートで、引退から30年以上経ったいまも多くの人を惹きつける歌姫・山口が中学生の頃まで過ごした横須賀と、岡村が憧れ続けた志村さんゆかりの地、新宿・若松町と麻布十番に向かう。
山口は、岡村が小学生のときに芸能界を引退しただけに「自分よりちょっと上の世代の方というイメージ」とコメント。とはいえ、ヒット曲を連発し、絶大な人気を誇ったことや、引退ステージでマイクを床に置く姿にインパクトがあったことなどを鮮明に覚えていると語る。そんな山口の軌跡を辿るべく、さっそく当時、山口が家族と住んでいた団地を訪ねていく。病弱な母親、6歳離れた妹との3人暮らしだったと聞き、どんな思いで日々を過ごしていたのか思いを馳せる岡村。その後、通っていた小学校、中学校、近所の商店街を訪ね、山口の面影が感じられる場所を探す。
街の人に話を聞くと、誰もが多少なりとも“百恵エピソード”を持っていて、同時期、同じ中学に在籍していた人物から話を聞くことにも成功。1970年代から80年代にかけて、人気歌手を数多く排出したオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ)に山口が出演直後、地元がどんな騒ぎだったのかリアルな体験談を語ってもらった。さらに、人気絶頂の21歳のときに俳優の三浦友和と結婚し芸能界を去ったときの地元ファンならではの心境などを聞く。
横須賀を訪れた岡村は、山口が幼いころから決して恵まれた環境でなく、多くの苦労をしてきたことを知り、強い精神力がこの地で培われたものではないかと推測。山口の心情の一端に触れるような、味わい深い街ぶらとなった。また、岡村自身からはかなり遠いものの、貴重な“百恵エピソード”があることが判明。果たしてどんなエピソードなのか。
番組後半は、岡村が「師匠のような存在」と語る志村さんにスポットを当てる。かつてフジテレビがあった新宿・若松町をスタート地点に、岡村が親交のあった志村さんとの思い出話を披露する。若松町は、若かりし頃、志村さんが下宿していた場所であり、若き岡村が旧フジテレビに通った思い出深い場所でもあり、懐かしさは人一倍。自身のコントに打ち込んだ日々や、志村さんに加えて、明石家さんま、とんねるず、ダウンタウンなど、売れっ子芸人たちが集合するのを目の当たりにし、その華やかさ・まぶしさを回顧する場面も。
志村さんと加藤茶のコント収録を見学したこともあり、多くのことを志村さんから学び、「僕の芸のほとんどは志村さんから学んだもの」と明かす。若かりし頃の志村さんが当時、通っていた銭湯のオーナーから話を聞くことに。サービス精神旺盛で漫才を披露してくれたエピソードや、ときにはお金がなくて入浴料を払えなかったという苦労話も。そんな志村さんの下積み時代を知るオーナーが、志村さんが亡くなる半年前に会ったときの思い出なども語ってもらう。
さらに晩年、志村さんが足繁く通っていた麻布十番も訪問。長く贔屓にしていた料理店のオーナーから、志村さんとの交遊録を聞く。岡村も志村さんと食事をともにすることがあったため、食事の席での志村さんや、お酒を楽しむときの志村さんのリラックスした様子をなつかしむ。
■岡村隆史
今回は山口百恵さん、志村けんさんという、大スターお二人の道のりを勉強させていただきました。百恵さんは僕自身リアルな世代ではないんですが、それでも名前を聞けばすぐわかる伝説のスターで、中学生の頃の話をうかがったら、僕なんかとは生き様がまったく違うと思いました。『スター誕生!』に出て地元で大騒ぎになっても、オーラを消していたとうかがい、その心中はどんなものだったのか知りたいと思いました。僕は全国ネットのテレビに出て地元の大阪で大騒ぎになったとき、気持ち良かったですから。肩で風切って歩いてましたから(笑)。自分と比べても、百恵さんがどんなことを考えていたのか興味があります。
志村けんさんは河田町の旧フジテレビでもご一緒する機会があり、まだちゃんと挨拶できてないときに加藤茶さんとのコント収録を見学させてもらったこともあります。お笑いに対して全力で向き合い、『バッターボックスに立たないとお笑いは起きないんだよ』とおっしゃっていたのをいまも覚えています。僕自身もお笑い番組の収録ではプロデューサーさんや演出家の方に『志村さんならどうするか考えろ』とよく言われたものです。
僕はあまりお酒が強くないのですが、志村さんにご飯に連れていってもらうようになってからは、一緒に飲むとうれしそうな顔をされていました。志村さんの前では一生懸命飲みました(笑)。失礼があってはいけないと思い、どうにか頑張りましたが、お帰りになったあとは緊張の糸がゆるんでお酒がまわって、それは大変でしたね(笑)。
百恵さんも志村さんもお若いころ、いろいろ苦労されていたんですね。だからこそ、強い精神力でスターへの階段を駆け上がったのだろうし、番組ではスターになる前の一般人だったころの貴重なエピソードも紹介します。お二人とも自分たちと同じように普通の暮らしをしてきた中で、どんな過程を経てスターダムを駆け上がったのか、興味深いと思います。
次も1970年代、80年代のスターにまつわる場所を訪ねたいです。あの年代の方って、やっぱり輝いていた人が多いというか、当時の方々の伝説をもっと知りたいです。一つ一つのエピソードが大きいし、生き様も分厚いというか。興味深いエピソードがいっぱいあるでしょうから、深掘りしたいですね。
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2024/12/04