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トランスジェンダーモデルの矢神サラ、性別適合手術の苦しみ語る「2度の手術でも、終わりはない」



 日本人で初めてトランスジェンダーのモデルとして世界的コレクション『LAファッション・ウィーク』に出演したモデルで実業家の矢神サラ。4歳で違和感を持ち、中学生ではっきりと認識した彼女は、23歳で性別適合手術を受けるまで、自身の性と向き合ってきた。「オカマ」といじめられた過去を始め、性自覚から周囲へのカミングアウト、トランスジェンダーの置かれている現状、壮絶な痛みを伴う性別適合手術を振り返り語った。

日本人初トランスジェンダーのモデルとして世界的コレクション出演した矢神サラ

日本人初トランスジェンダーのモデルとして世界的コレクション出演した矢神サラ

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◆性への違和感を覚え悩んだ過去「家族と周囲へのカミングアウトは必要不可欠だった」

――子どもの頃はアイドルになることが夢で、少女時代に憧れていたそうですが。

【矢神サラ】 小学校低学年の頃から「私がいちばん可愛い」と思い込んで生きていて(笑)、ずっとアイドルになりたかった。でも、年齢を重ねるうちに、自分が思っている姿と周囲が見る私の姿のギャップに気づいて、葛藤しました。ずっと試行錯誤していた感じはあります。

――いつ頃からご自身の性に対して違和感を持っていたのでしょうか?

【矢神サラ】 4歳くらいからです。スカートが可愛い、髪の毛を伸ばしたいとか、男の人にドキドキして、小学校時代の初恋の相手は男の子でした。「なんで自分はこうなんだろう」「なんで皆と違うんだろう」という疑問が強かった。いろいろな情報にアクセスできるようになり、社会と自分をしっかり見られるようになったのは中学生の頃からで、「体は男性に生まれたけれど、心は女性だ」と認識しました。

――お母様はご理解があるそうですね。「産んで育ててくれてありがとう大好き」と話しかけたら、「私はこの世に連れてきてあげただけで、あとは本人の努力だから何も感謝されることはないよ」と言われたそうですが、ご家族にカミングアウトした際のことを教えてください。

【矢神サラ】 母はかなり天然で、私も似ているのですが(笑)、高校2年生の時に意を決して「好きな男の子がいる」って話をしたんです。そうしたら「いまの子ってそんな感じだよね」って明るく返されて。そのまま一緒に映画を観に行って、その日は終わりました。私は、思い詰めて、考え抜いた先に打ち明けたのですが、思っていた反応ではなくて。最近になって母と話をして、「あの時はよくわかっていなかった」と言っていました(笑)。

◆「オカマは変」と多様性を認めない偏見を持つ人も、突き抜けて可愛くなれば優しくなる

――家族以外の周囲に打ち明けた時に、嫌な思いや後悔をしたことはありませんでしたか?

【矢神サラ】 高校時代に女の子たちと恋バナをしている中で打ち明けたのですが、受け入れ態勢がすごく出来上がっていたというか、自然に打ち解けました。いまの若い世代は、生活がすべてInstagramやTikTokで見える化されているので、トランスジェンダーについても知っていて、昔に比べて受け入れやすくなっているという話も聞きます。それに、私には自分の強い想いがあったので、冷たい言葉を浴びせられたこともありましたが、後悔はないです。むしろ「言えて良かった」とスッキリしました。でも、いまも悩んでいる当事者は、私の時代と変わらないくらいいると思います。

――トランスジェンダーであることで辛い思いをしたこともあるかと思います。

【矢神サラ】 特に義務教育期間は、すごくたくさんありました。女の子と遊んでいると、「男の子の友だちを作りなさい」と先生に言われる時代でしたので。女の子っぽいと“オカマ”と言われいじめられる子もたくさんいて、私もそういう経験があります。でも、大人になったいま振り返ると、あの頃のいじめは仕方ないと思えます。人と違うことに対して敏感な年頃ですし、多数派が社会の中心になる中での少数派なので。

――大人の世界でも差別や偏見が完全になくなることはなさそうです。

【矢神サラ】 正直なところ、そういう人もいます。年配の方が多い場所では、「オカマは変」と多様性を認めない。そういう風に育ってきたので仕方ないと思います。そんな差別や偏見を受けて、私がこれまでの人生で学んだのは、「人は見た目が9割」ということ。突き抜けて可愛くなれば、「オカマは変」と言うおじさんたちも優しいんです(笑)。だから私は可愛くなろうと思って、ここまで来た感じもあります。

――いくつくらいで「突き抜けて可愛くなろう」と思ったのでしょうか?

【矢神サラ】 15〜16歳の頃には感じていました。男の子たちは可愛い女の子が好きと自覚し始めるし、テレビを観てもスタイルが良くて可愛い人ばかり。上手に生きている女性はみんなキレイなんです。同時に、その裏には大変な努力があることも知りました。私は、10代から整形手術をしていますが、身を持て感じたことが多いです。

◆ネットにない情報を新宿二丁目で集め、23歳の時にタイで性別適合手術へ

――10代からホルモン治療を行っていたとのことですが、何歳くらいからですか?

【矢神サラ】 19歳からです。体が成長過程にある中、早ければ早い方が良いと言われる治療なので。アメリカでは未成年へのホルモン治療を推奨していますが、その影響による気分のアップダウンがあるので、精神的に不安定な年頃の未成年への治療には賛否があります。確かに心の揺らぎがある思春期に、性別に悩む子どもが自分で決めるのは難しい。

 一方、体は成長していくので、若いうちに始めることは後々のプラスになります。諸説ありますが、10代までに一次成長、二次成長があり、その後、20歳を超えてからも成長し、どんどん体が男性化していくと聞きます。30代になってから治療を始めても、成長しきったそれまでの体系があるので、やっぱり見た目は男性らしさが残ります。

――心と体の性別を一致させ、女性として生きていくために「性別適合手術を受けよう」と決意したのは何歳頃ですか?

【矢神サラ】 20歳前後です。自分の性別と向き合った時に、男性の体で生き続けるのが、私にとっては理解しがたいことだったので。いろいろ調べて、痛そうだし、怖いし、海外での手術なのでお金もかかる…考えることはたくさんあるけれど、「絶対に手術を受ける」と心は決まっていました。ホルモン治療は、体を女性化することはできるのですが、私は“女性の体”で男性に愛されたいという気持ちが強くありました。妥協して愛されたくないとうか、女性と同じ土俵に立って戦いたいというのもありました。だから、一刻も早く性転換手術をしたいと思って、23歳の時にタイで手術を受けました。

――手術方法や病院選びなど、情報はどうやって得たのでしょうか?

【矢神サラ】 ネットにも情報が少なかったので、新宿2丁目のニューハーフやトランスジェンダーの先輩から話を聞き、手術を受けた人を紹介してもらい、病院や費用、手術内容について細かく調べました。そうやっていろいろ教えていただいた結果、タイの病院で受けることにしました。手術費用はトータルで約300万円。ただ、年々上がっているので、いまのレートでは350万円ほどですかね。

――性別適合手術後は、壮絶な痛みがあると聞きます。

【矢神サラ】 もちろん痛いし、しんどくて、苦しい。できればやりたくないけれど、私の生きるモチベーションのひとつである恋愛において、体も女性にしたいと思いました。痛いのは皆わかっていることなので、それでも自分の見え方を変えたい、手術にポジティブになれるかどうかですね。手術を推奨しているわけではありませんが、私自身の経験からがんばった方がいいと思っています。

◆壮絶な痛みと苦しみを乗り越えた膣の再手術…性転換手術をしたら終わりではなく、ずっと続く戦いもある

――矢神さんは手術を受けたことで人生が開けたんですね。

【矢神サラ】 やっぱり男性に興味を持ってもらえるので。当時の職業柄、そこがすべてのスタートでしたから。私としては十分回収した気持ちです(笑)。

――2023年には「私みたいに膣の深さ掘り直しで7年越しにまたタイまで来て手術する人少ないと思う」と再手術の様子を投稿されていました。

【矢神サラ】 ピアスの穴と同じで、穴をこじ開けているので、自然に閉じてしまう。私の恋愛観としては、「性行為が普通にあった方が良い」と思っています。それが上手くいかないことに負い目を感じていたので、じゃあ作り直そうって。解決策をすぐ求めるタイプなんです(笑)。

――壮絶な痛みを乗り越えられているように見えました。

【矢神サラ】 再手術を受ける人は少ないです。手術後の痛みも辛いのですが、尿カテーテルをつけている1週間くらいは、まったく身動きが取れない寝たきりになり、床ずれしてしまいます。それが辛い上に、固形物は食べられないし、ベッドでそのまま排泄しないといけない。トランスジェンダーの知り合いには、「こんな痛いことをもう1回やるなんて信じられない」と言われました(笑)。痛いし苦しくて、入院中大変でしたが、私はやって良かったと思っています。

――2回目の手術の後もまた塞がっていくのでしょうか。

【矢神サラ】 そうなんです。「ダイレーション(造った膣が狭窄したり閉塞したりしないように奥行きや直径をキープするために必要な作業)」というスティックを6〜7本もらうのですが、術後はそれを毎日朝晩の2回、1時間ずつ使用しないと収縮してしまうと言われています。でも、なかなか日常生活の中でその時間が取れない。面倒ですし、回数が減っていくんですよね。それで膣の深さが浅くなっていく。だから、手術したら終わりではなく、その後もこういうことが続くんです。大手術したのに女性になれていないって、悲観的になったり、ネガティブになったりするのはよくないので、仕方ないと思うしかないですよね。それを受け入れて生きるしかないから。

◆昼はアパレル会社勤務、夜はショーパブで手術費用の捻出も…「ひげガール」での日々がいまの礎に

――費用的にも大きな負担ですね。

【矢神サラ】 基本的に社会的弱者のニューハーフはお金がない。だから、その費用を捻出するために多くの人は、夜の仕事場で働いています。私は当時、昼はアパレルの会社で働きながら、夜は歌舞伎町の「ひげガール」という有名なショーパブでダブルワークをしていました。

――そこでの辛いことはありましたか?

【矢神サラ】 お客様や先輩が怖いというのはありました(笑)。想像もつかないような体験が日々続きましたが、なんとか切り抜けられた感じですかね。テレビなどでも活躍するトランスジェンダーとしてのロールモデルのような美しい方もいます。ただ、ゲイバーやニューハーフの子が働く夜のお店は、水商売の中でかなり賃金が低いことが多いんです。一般的な女性が働くキャバクラと比べると、時給が5分の1くらい。なかなかお金が貯まらないので、本当に辛かったです。最終的には、お母さんにお金を借りて、手術しました。

――そこでの人生の学びはありましたか?

【矢神サラ】 日常のコミュニケーション能力に長けた人たちばかりなので、人を楽しませることや喜ばせることなど、トーク力はすべてそこで学びました。お酒を飲むと人間関係の距離がすごく縮まることも含めて、勉強になりましたし、それがいまの礎になっています。

(文/武井保之)

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  • 日本人初トランスジェンダーのモデルとして世界的コレクション出演した矢神サラ
  • 矢神サラ(Instagram/@sara_yagamisaraより)
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