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EXILEでの21年、MAKIDAI & ATSUSHIの証言 清木場俊介と「バチバチだった」駆け出しの頃

 EXILE MAKIDAIが、EXILEのエンターテインメントに携わってきたアーティストやクリエイターたちへのインタビューを通じて、そのクリエイションの歴史に迫る書籍『EXILE MUSIC HISTORY』(blueprint刊)が、2月4日に発売された。

(左から)MAKIDAI、ATSUSHI

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 同書では、EXILEのオリジナルメンバーであり、PKCZ(R)にてDJとしても活躍するMAKIDAIが、キーマンとの対談を通して、多くの人々を魅了し続けてきたEXILEのエンターテインメントの真髄に迫る。対談相手は、EXILE ATSUSHI白濱亜嵐倖田來未、D.O.I.、KENJI SANO、DJ KIRA、中代拓也、PATO&SEVA、EXILE AKIRA、T.Kuraの計11名。以下に、EXILE ATSUSHIとの対談の一部を抜粋して紹介する。

■ATSUSHIが振り返るメンバーとの出会い「あれは僕の中で伝説の日」

【MAKIDAI】ATSUSHIは『EXILE LIVE TOUR 2022“POWER OF WISH”』で、メンバーとして復活しました。ツアーの手応えはどうでしたか?

【ATSUSHI】マスク越しではありますが、お客さんの笑顔を見ると胸を打たれるものがありました。EXILEのメンバーになって21年が経ちますが、今なおステージに上がると拍手で迎えてくれるのは、「ありがたい」という言葉に尽きます。HIROさんやMAKIさん、松ちゃん(松本利夫)、USAさん(U=ウムラウト表記)、俊ちゃん(清木場俊介)との思い出は僕にとっても特別で、色々なことがありぎて語り尽くせません。

【MAKIDAI】僕とHIROさん、松ちゃん、USAさんはATSUSHIが「ASAYAN」の「男子ヴォーカリストオーディション」に出ていた時から「すごいボーカルがいる」と注目していました。「佐藤くん(ATSUSHI)に歌ってもらえたらヤバくない?」と。そうしたら後に「時の描片~トキノカケラ~」を作曲して下さったDaisuke"DAIS"Miyachiこと宮地大輔さんとHIROさんが繋がっていた事から、ATSUSHIの地元の先輩のライブをみんなで見に行って。

【ATSUSHI】それで会いに来てくださったんですよね。あれは僕の中で伝説の日ですよ(笑)。「ZOOのHIROさんだ……かっけえ!」という印象でした。

【MAKIDAI】当時20歳、日焼けしてスーツ姿だし、いい意味で落ち着いていて。

【ATSUSHI】オーディションに落ちてからは、いつどんな時に業界の人に会うかもわからないので常に黒いスーツを着てました。急に「歌ってみて」と言われてもスーツ姿なら雰囲気を作れるし、いつでもステージに飛び込めるように構えていたんですよ。

【MAKIDAI】そこから早21年。もしかしたら「POWER OF WISH」を見に来ていたファンの方は、デビュー時点で生まれてない方もいらっしゃるかもしれませんね。ATSUSHIとはavexのスタジオで一緒にリハーサルを始めて、HIROさんを中心にこれからどう活動していくかを話し合っていたのを覚えています。最初のツアーは1stアルバム『ourstyle』の時だったね。

【ATSUSHI】初ツアーではクラブやライブハウスを周りましたね。北海道のPENNY LANE24などを周って、ファイナルは大きめの六本木・Velfarreでした。

【MAKIDAI】モールでもパフォーマンスしたよね。

【ATSUSHI】池袋サンシャインシティの噴水広場とか、川崎アゼリアでもやりました。懐かしいです。

【MAKIDAI】渋谷のタワーレコードのレジに立ったり、HMVでJ-WAVEのラジオに出演させていただいたり。ピストン西沢さんは当時からよく曲もかけてくださって。

【ATSUSHI】よく「J-WAVEで曲をかけてもらうにはどうしたらいいか?」と作戦会議をしていました。

【MAKIDAI】細々と自分たちで色々考えていたなと思う。

【ATSUSHI】あれは今思うと戦略会議でしたね。上手くいかなかったこともあるけど、みんなでアイデアを出し合って実行していくのは楽しかったです。

【MAKIDAI】選挙カーみたいな感じで、「EXILE ENTERTAINMENT」というアドカーを走らせたら面白いかもしれない、とか(笑)。

【ATSUSHI】『Styles Of Beyond』の火山が噴火しているジャケットも「俺たちは爆発したいんだ!」というエネルギーを表現したものでした。しかもそのTシャツで「Mステ」に出たのを覚えています。パンツを上まで上げてハイウエストにしたりして(笑)。

【MAKIDAI】懐かしい(笑)。僕らはHIROさんを中心に自ら事務所を立ち上げて活動していたから、今でいうA&R(=アーティスト・アンド・レパートリー/アーティストの発掘・育成・楽曲の制作などを担う役割)的な仕事も自分たちでやっていた感じでね。

【ATSUSHI】「売れたい!」「どうしたら多くの人に知ってもらえるか?」と必死な毎日でした。

【MAKIDAI】『our style』のライブで、ATSUSHIのソロに感動した記憶もあります。

【ATSUSHI】いま振り返ると、当時は俊ちゃんとバチバチしちゃってたなぁと。「こんなにもながい君の不在」というソロ曲は、デモ制作の時点でディレクターの濱田(嘉生)さんが「ATSUSHI、ソロで歌ったら?」と言ってくれたのですが、僕は若かったこともあり、何も考えずに「やらせてもらえるならやりたいです」と。俊ちゃんが少し寂しそうな表情を浮かべていたのを覚えています。

【MAKIDAI】みんな本気だからこそ、そうなるよね。

【ATSUSHI】男同士でもやっぱり嫉妬はあるんてです。でも、その後に俊ちゃんも「それが僕だから」という良い曲を仕上げてきたので、お互いに切磋琢磨する良い意味でのライバル関係でもあったと思います。

■ターニングポイントになった楽曲は? HIROの慧眼と導き

【MAKIDAI】当時の活動の中で、特に手応えを感じた楽曲は?

【ATSUSHI】どの曲にも一生懸命に打ち込んでいましたが、ターニングポイントとなった作品を挙げるとすると、avexの松浦(勝人)会長に「この曲を君たちにあげるよ」と提供していただいた「We Will 〜あの場所で〜」かもしれません。当時のavexでは、浜崎あゆみさん、安室奈美恵さん、ELTさんなど、錚々(そうそう)たるアーティストが大活躍していて、EXILEはこれから頑張っていこうというタイミングでした。松浦会長が、avexのヒットメイカーたちが作ったとっておきのデモ曲をストックしているといううわさは聞いていたので、それをついに託されたんだなと。でも、「We Will 〜あの場所で〜」はJ-POPのテイストが強い楽曲だったので、それまでR&B系の楽曲を選んでいたEXILEとしてどう向き合うべきか、正直なところわからない部分もありました。

【MAKIDAI】そのニュアンスは僕も覚えてます。たしかに「song for you」などの楽曲とは雰囲気が違いました。あの曲調でダンスをすることもトライだったと思います。

【ATSUSHI】でもHIROさんが「松浦会長が提供してくれた楽曲なんだから、信じて良いものに仕上げよう」と決断したんです。会長を信じているHIROさんの背中を見て「自分たちも挑戦しなきゃいけないんだ」と思いました。実際にアレンジが上がってきて、歌ってみたら本当にいい曲で、結局は僕らが未熟だったことに気付きました。当時は完成形を想像できてなかったんです。

【MAKIDAI】自分たちの物差しだけで見ていた部分があったと思います。いわゆる「J-POP」と言われる楽曲をEXILEの作品として出せるようになったという意味で、その時代の挑戦はターニングポイントでした。

【ATSUSHI】ダンスボーカルユニットだから「踊れる曲じゃなければいけない」と考えていましたが、歌ってみて良い曲なら、その曲に合わせてちゃんと踊れる様に工夫してみようという発想に変わりました。「Your eyes only〜曖昧なぼくの輪郭〜」もテンポがスローで挑戦的なダンスではあったけれど、一方でリズの刻みは多かったからキメどころを作りやすかった。「We Will 〜あの場所で〜」は、さらに殻を破れた瞬間だったと思います。

【MAKIDAI】歌謡曲でもダンスをすることで、EXILEの表現の幅が広がったのは間違いないです。その後に「Together」を出しているから、メジャーなシーンでも通用するアーティストになろうと、一気に振り切っていくタイミングになっていたんですね。

【ATSUSHI】J-POPの王道に向かっていったと思います。

【MAKIDAI】キャッチーなJ-POP路線にもトライした事が、後の「Choo Choo TRAIN」の流れにも繋がっていったんだよね。

【ATSUSHI】J-POPの路線を追求しつつも、自分たちが好きなブラックミュージックの匂いも少しだけ感じられるグループになっていきましたね。今思えば、一番チャンスに恵まれていた時期に、一番チャレンジングなことをしていた気がします。20代、30代で挑戦し続けられたことがよかったなと。

【MAKIDAI】守りには入らなかったよね。

【ATSUSHI】尖りすぎていてもダメなんですよ。「俺らはこういうスタイルだから」と狭い視野でカッコつけていたら今のEXILEはなかった。人生のいい時期って何度もあるわけじゃないし、長く続くわけでもない。だからこそ、チャンスのときに素直に大人の意見を聞くのも大事です。HIROさんが大人で、先々まで俯瞰したうえで「こちらの方がチャンスがある」とグループの舵取りをしてくれたのは大きかった。

【MAKIDAI】本当にそうだね。

【ATSUSHI】「売れたら好きなことをやりなよ」と言われたら、やってしまいがちじゃないですか。でも、それが必ずしもファンの人が求める活動になるとは限らないことをHIROさんは理解していた。ZOOでの活動を踏まえたうえで、僕らを「ここで満足していたら、すぐに終わる。もっと上を目指すには広い視野が必要だ」と導いてくれたんです。

【MAKIDAI】ZOOで活躍していたHIROさんの言葉だからこそ、僕らも素直に聞けた気がします。同世代で経験値が同じくらいだったら、そうもいかなかったかもしれない。

【ATSUSHI】誰よりもクラブカルチャーの経験値が高いHIROさんが、率先して「J-POPをやろう」と言ってくれたのは本当に大きいです。苦労した経験があるからこそ、音楽で仕事をするために大事なことを教えてくれたんだなと今になってわかります。

『EXILE MUSIC HISTORY』(blueprint刊)書影

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続きは『EXILE MUSIC HISTORY』にて

■書籍詳細
タイトル:『EXILE MUSIC HISTORY』
EXILE MAKIDAI 著/監修
発売日:2月4日(土)
※発売日は地域によって異なる場合がございます。
価格:3,300円(税込価格/本体3,000円)
出版社:株式会社blueprint
判型/頁数:B5変形/160頁
ISBN:978-4-909852-36-6

▼Amazon
https://www.amazon.co.jp/EXILE-MUSIC-HISTORY-MAKIDAI/dp/4909852360

▼blueprint book store(MAKIDAIの直筆サイン入り)
https://blueprintbookstore.com/items/63bd3c95791d02330fe7d7b5

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