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ユニセフ親善大使としての活動に尽力したオードリー・ヘプバーン、晩年の姿
 永遠の映画スター、オードリー・ヘプバーンの真の姿に迫るドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』(5月6日公開)より、オードリーが生涯の使命として全精力を傾けたユニセフ親善大使としての活動を映し出した本編映像が到着。世界中の人々へ向けてオードリーが投げかけた“愛する”というメッセージが蘇る。

ドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』(5月6日公開) (C)John Isaac

ドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』(5月6日公開) (C)John Isaac

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 1929年5月4日、ベルギーに生まれたオードリー。多感な少女時代は第二次世界大戦の真っ最中、ナチス占領下のオランダで食料もなくやせ細って栄養失調に苦しみ、家は破壊され、地下室や牢獄のような環境での生活を強いられていた。さらに、父は家族を捨てて両親は離婚。悲しみと孤独を抱え、過酷な日々をからくも生き延びた。

 オードリーが当時を振り返り「ナチス親衛隊に直接支配され、誰もが口をつぐみ、身を隠して自由に話せず、ラジオも聴けない牢獄のような環境で私は育った」と話す場面も。「オランダ解放のあと赤十字とユニセフが来て廃屋に物資を運び込んだのを覚えてる。食糧や衣類や薬をね。戦争が終わった時私は重度の栄養失調だった。食べ物の価値は知ってるわ。私の人生はその頃の記憶で形作られてる。子どもの頃にこちら側の人生を知った。あの苦しみと貧しさは今も心に残っている」とオードリー自身がユニセフの助けを借りて生き延びていたことが明かされる。この経験は、晩年、ユニセフ親善大使として活動するオードリーに多大な影響を与えることになった。

 デビュー作『ローマの休日』でアカデミー賞主演女優賞を受賞して以降、数々の名作に出演。銀幕の妖精として今なお世界中から愛される大スターとして世界へ羽ばたいたオードリー。しかし辛い幼少期を過ごした彼女が求めたのは、スターとしての成功ではなく、暖かい家庭を築くことだった。愛する家族とともに穏やかな生活を送ることを望んだ彼女は、一度は女優業の第一線から距離を置くことに。

 しかし晩年、オードリーはユニセフ親善大使として多くのメディアに露出し、世界中を飛び回って戦争と悪政の犠牲となった子どもたちのもとへ駆けつけた。世界中の誰もが知る「オードリー・ヘプバーン」という名前を武器に、自分が表に出ることで飢えた子どもたちに世界の目が向けば本望と考え、ありったけの愛情を子どもたちに注いでいった。

ドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』(5月6日公開) (C)John Isaac

ドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』(5月6日公開) (C)John Isaac

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 映像内でも、やせ細り弱りきった子どもに食事を与える慈愛に満ちた姿が映し出されており、こうしたユニセフ親善大使の活動についてオードリーは「あの苦しい時代が教えてくれた一番大切なことは、どんな悲惨な状況でも人は助け合えるということ。悲惨であればあるほど互いが必要になるの。女優という仕事が私に特別なものをくれたとしたら、この声を残してくれたこと。今も私に興味を持つ人が子どもたちのために役立てることができる」と、話していた。

 その言葉通り、彼女は残りの人生のすべてを子どもたちのために費やし、その惨状を世界に発信することを自らの使命とした。その姿を世界に届けることで“愛すること”の大切さを世界へと投げかけたのだ。

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