1988年のデビュー以来、実力派演歌歌手としてはもちろん、詩吟や浪曲など日本の伝統文化の伝承にも努めてきた石原詢子が、通算44枚目のシングルで、曲調はもちろんビジュアルにいたるまでイメージを一新。シンガーソングライター・古内東子書き下ろしの新曲「ただそばにいてくれて」で新境地を切り開いた。「コロナ禍で感じた不安が新たな世界への一歩を踏みだすきっかけになった」と語る石原に、その思いの裏にある歌手としてのこだわりや新曲に託した思いを聞いた。
■不安と辛さに押しつぶされそうだったコロナ禍 2匹の猫が後押ししてくれた新境地への第一歩
「新型コロナの影響でコンサートや番組収録が中止になり、1年以上も歌えない日々が続きました。歌えないことってこんなに辛いんだって感じるとともに、1日誰ともしゃべらない日が何日も続いたり、一人でご飯を食べてもつまらないから全然食べない日があったり、これからどうなっていくのかとても不安で。そんな中、自分がどうあるべきかを考えたとき、今だからこそ、我を通してでもやりたいことに挑戦したいという気持ちが芽生えました。そこで、思っていてもずっと実現できずにいた、ジャンルにとらわれず、私と同年代の人や若い人にも聴いてもらいやすい歌を作りたいと思ったんです」
コロナ禍、辛さと不安に押し潰されそうな気持ちを前向きに変え、石原に新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのは、昨年7月から飼い始めた2匹の猫、“だいず”と“きなこ”の存在だった。
「“だいず”と“きなこ”が来てから、本当に変わりました。心にすごい明りを灯してくれたというか、エネルギーを毎日たくさん蓄えさせてもらって。この子たちがいてくれなければ、コロナ禍を自分はいったいどんな気持ちで過ごしていたことか……」
その想いを元に作られたのが今回の新曲「ただそばにいてくれて」。以前よりファンだった古内東子に「あなたがいてくれたから」というテーマで依頼した楽曲だ。
「古内さんは切ないラブソングにおいては第一人者の方で、女性ならではの世界観をお持ちです。同年代の女性の目線から見る石原詢子をそのまま出した楽曲を作っていただけるのではないかと思い切ってお願いしました。テーマについては、いろいろなワードを告げると偏ってしまう気がしたので、『あなたがいてくれたから』という1ワードだけをお伝えしました。本当は『ありがとう』という言葉も入れてほしいと言いたかったのですが、打合せでは言いませんでした。そうしたら、そばにいてくれる人に『ありがとう』を伝えるメッセージソングができあがってきて!嬉しかったですね」
作詞作曲を手掛けた古内東子も同曲について、「『ただそばにいてくれて』は、いただいていた「大切なもの」というテーマに沿いつつ、打ち合わせの日にスタッフの皆さんと談笑する詢子さんを拝見しヒントを得て作りました。そうして出来上がった曲は、私が作り続けてきた「恋愛」の歌ではありませんが、結果として「愛」でしかない一曲になりました」と話す。
■こんなに緊張したレコーディングは初めて 新境地は新鮮、ワクワクの連続
長かった髪をバッサリ切り、衣裳も着物から洋装へと替え、ジャケ写のビジュアルを一新。しかし、デビューから33年、「幸せ演歌」の代名詞を築いてきた中で、その殻を破り、大きくイメチェンすることに不安はなかったのだろうか。
「実は25周年を迎えた頃から、演歌に限らず自分の歌の幅をもっと広げたいと考えていました。でも、演歌を歌う着物姿の石原詢子が好きだというファンの気持ちを思うと、第一歩がなかなか踏み出せませんでした。正直、ファンの方たちが背を向けてしまうんじゃないかという不安もあったんです。ただ、今回、コロナ禍で歌えない辛さを味わって、やらずに後悔するよりやって後悔するほうがいいと思ったし、今、このタイミングを逃したらもうチャンスはないかもしれない。何より、きっと私のファンはどんな曲を歌っても、どんな格好をしても、まっすぐに見てくれるんじゃないかと思い直し、強い気持ちで臨むしかないと決意しました」
ところが、石原の不安を軽く覆し、先行で公開されたイメージ&リリックビデオを見たファンからは熱賛の声が自身のSNSに多数寄せられた。何より石原が驚いたのは、その中にファン以外の人からのコメントも多くが多く含まれていたことだった。
「今まで石原詢子を応援してくださった方以外からも、すごく素敵とか、演歌を歌っている人とは思えないとか、たくさんの声をいただいて、本当に嬉しかったですね」
そんな自身の今の状態を「ピッカピカの1年生っていう気持ち」と表現する石原。そう思わせるほど、新境地での第一歩は歌手人生33年のベテランをも新人の気持ちにさせる違いがあったと言う。
「今までは私の中の決め事として、レコーディング前の練習は少しだけにして本番に臨むようにしていたんです。事前にあまり歌い込むと、感情が入りすぎたり、技術に頼ってしまったりと、新鮮な感じで収録に臨めなくなってしまうので。ところが、今回はものすごく練習しました。それくらい今までとは違った難しさがありました。まず、演歌の世界では1番と2番のメロディが違うということは絶対ありませんから、異なるメロディで言葉の数も違うというようなことが体に馴染んでいなくて。あんなに緊張したレコーディングは初めてでした。レコーディングでの音の作り方も、ジャケ写の撮影も、演歌だったら考えられないやり方でしたしね。とにかく、本当に新鮮で、ワクワクの連続で。新人のような気持ちで臨んでいます」
カップリングの「ひと粒」も古内東子作。この曲に関してはなんのテーマもキーワードも告げることなく、「古内さんから見た石原詢子のイメージで」と任せてできあがったという大人のラブソングだ。本作に出合ったことでラブソングへの思いが大きく膨らみ始めていると目を輝かす。
「50代という私と同年代の人に向けて、一区切り終わってしまったけれど、また恋がしたいなと思わせるような、恋するときの気持ちや大人の恋愛の切なさ、優しさを描いた歌を歌ってみたいですね」
リリース日の5月19日には石原出演のミュージックビデオが公開。26日には、現在配信中のイメージ&リリックビデオに写真で出演している人たちを主人公にしたドキュメントビデオが公開される予定となっている。
キャリアを重ねた“ピッカピカの1年生”が、新たな世界観で歌の力を武器に聴く人の心にどんな潤いをもたらしてくれるのか、興味は尽きない。
プロフィール
いしはら・じゅんこ/1968年1月12日生まれ。岐阜県揖斐郡池田町出身。詩吟揖水流宗家の長女として生まれ、後に詩吟・剣舞・詩舞の師範代となる。88年にCBSソニーより「ホレました」でデビュー。キャッチコピーは「私はあなたの日本一。」。99年に発売した「みれん酒」がヒットして、2000年の『第51回NHK紅白歌合戦』に初出場。03年には「ふたり傘」がヒットし、『第54回NHK紅白歌合戦』出場、「第36回日本有線大賞」有線音楽賞受賞、「第36回ベストヒット歌謡祭」(旧全日本有線放送大賞 ゴールドアーティスト賞受賞。06年には初主演舞台「終着駅」(全10回公演/音楽制作:つんく)、07年 故郷、岐阜県「飛騨・美濃観光大使」就任。主演舞台「東京」(全14回公演)、15年 第39回全国育樹祭にて皇太子殿下ご臨席のもと国歌独唱。
★YouTube公式チャンネル「ORICON NEWS」
■不安と辛さに押しつぶされそうだったコロナ禍 2匹の猫が後押ししてくれた新境地への第一歩
「新型コロナの影響でコンサートや番組収録が中止になり、1年以上も歌えない日々が続きました。歌えないことってこんなに辛いんだって感じるとともに、1日誰ともしゃべらない日が何日も続いたり、一人でご飯を食べてもつまらないから全然食べない日があったり、これからどうなっていくのかとても不安で。そんな中、自分がどうあるべきかを考えたとき、今だからこそ、我を通してでもやりたいことに挑戦したいという気持ちが芽生えました。そこで、思っていてもずっと実現できずにいた、ジャンルにとらわれず、私と同年代の人や若い人にも聴いてもらいやすい歌を作りたいと思ったんです」
コロナ禍、辛さと不安に押し潰されそうな気持ちを前向きに変え、石原に新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのは、昨年7月から飼い始めた2匹の猫、“だいず”と“きなこ”の存在だった。
「“だいず”と“きなこ”が来てから、本当に変わりました。心にすごい明りを灯してくれたというか、エネルギーを毎日たくさん蓄えさせてもらって。この子たちがいてくれなければ、コロナ禍を自分はいったいどんな気持ちで過ごしていたことか……」
その想いを元に作られたのが今回の新曲「ただそばにいてくれて」。以前よりファンだった古内東子に「あなたがいてくれたから」というテーマで依頼した楽曲だ。
「古内さんは切ないラブソングにおいては第一人者の方で、女性ならではの世界観をお持ちです。同年代の女性の目線から見る石原詢子をそのまま出した楽曲を作っていただけるのではないかと思い切ってお願いしました。テーマについては、いろいろなワードを告げると偏ってしまう気がしたので、『あなたがいてくれたから』という1ワードだけをお伝えしました。本当は『ありがとう』という言葉も入れてほしいと言いたかったのですが、打合せでは言いませんでした。そうしたら、そばにいてくれる人に『ありがとう』を伝えるメッセージソングができあがってきて!嬉しかったですね」
作詞作曲を手掛けた古内東子も同曲について、「『ただそばにいてくれて』は、いただいていた「大切なもの」というテーマに沿いつつ、打ち合わせの日にスタッフの皆さんと談笑する詢子さんを拝見しヒントを得て作りました。そうして出来上がった曲は、私が作り続けてきた「恋愛」の歌ではありませんが、結果として「愛」でしかない一曲になりました」と話す。
■こんなに緊張したレコーディングは初めて 新境地は新鮮、ワクワクの連続
長かった髪をバッサリ切り、衣裳も着物から洋装へと替え、ジャケ写のビジュアルを一新。しかし、デビューから33年、「幸せ演歌」の代名詞を築いてきた中で、その殻を破り、大きくイメチェンすることに不安はなかったのだろうか。
「実は25周年を迎えた頃から、演歌に限らず自分の歌の幅をもっと広げたいと考えていました。でも、演歌を歌う着物姿の石原詢子が好きだというファンの気持ちを思うと、第一歩がなかなか踏み出せませんでした。正直、ファンの方たちが背を向けてしまうんじゃないかという不安もあったんです。ただ、今回、コロナ禍で歌えない辛さを味わって、やらずに後悔するよりやって後悔するほうがいいと思ったし、今、このタイミングを逃したらもうチャンスはないかもしれない。何より、きっと私のファンはどんな曲を歌っても、どんな格好をしても、まっすぐに見てくれるんじゃないかと思い直し、強い気持ちで臨むしかないと決意しました」
ところが、石原の不安を軽く覆し、先行で公開されたイメージ&リリックビデオを見たファンからは熱賛の声が自身のSNSに多数寄せられた。何より石原が驚いたのは、その中にファン以外の人からのコメントも多くが多く含まれていたことだった。
「今まで石原詢子を応援してくださった方以外からも、すごく素敵とか、演歌を歌っている人とは思えないとか、たくさんの声をいただいて、本当に嬉しかったですね」
そんな自身の今の状態を「ピッカピカの1年生っていう気持ち」と表現する石原。そう思わせるほど、新境地での第一歩は歌手人生33年のベテランをも新人の気持ちにさせる違いがあったと言う。
「今までは私の中の決め事として、レコーディング前の練習は少しだけにして本番に臨むようにしていたんです。事前にあまり歌い込むと、感情が入りすぎたり、技術に頼ってしまったりと、新鮮な感じで収録に臨めなくなってしまうので。ところが、今回はものすごく練習しました。それくらい今までとは違った難しさがありました。まず、演歌の世界では1番と2番のメロディが違うということは絶対ありませんから、異なるメロディで言葉の数も違うというようなことが体に馴染んでいなくて。あんなに緊張したレコーディングは初めてでした。レコーディングでの音の作り方も、ジャケ写の撮影も、演歌だったら考えられないやり方でしたしね。とにかく、本当に新鮮で、ワクワクの連続で。新人のような気持ちで臨んでいます」
カップリングの「ひと粒」も古内東子作。この曲に関してはなんのテーマもキーワードも告げることなく、「古内さんから見た石原詢子のイメージで」と任せてできあがったという大人のラブソングだ。本作に出合ったことでラブソングへの思いが大きく膨らみ始めていると目を輝かす。
「50代という私と同年代の人に向けて、一区切り終わってしまったけれど、また恋がしたいなと思わせるような、恋するときの気持ちや大人の恋愛の切なさ、優しさを描いた歌を歌ってみたいですね」
リリース日の5月19日には石原出演のミュージックビデオが公開。26日には、現在配信中のイメージ&リリックビデオに写真で出演している人たちを主人公にしたドキュメントビデオが公開される予定となっている。
キャリアを重ねた“ピッカピカの1年生”が、新たな世界観で歌の力を武器に聴く人の心にどんな潤いをもたらしてくれるのか、興味は尽きない。
プロフィール
いしはら・じゅんこ/1968年1月12日生まれ。岐阜県揖斐郡池田町出身。詩吟揖水流宗家の長女として生まれ、後に詩吟・剣舞・詩舞の師範代となる。88年にCBSソニーより「ホレました」でデビュー。キャッチコピーは「私はあなたの日本一。」。99年に発売した「みれん酒」がヒットして、2000年の『第51回NHK紅白歌合戦』に初出場。03年には「ふたり傘」がヒットし、『第54回NHK紅白歌合戦』出場、「第36回日本有線大賞」有線音楽賞受賞、「第36回ベストヒット歌謡祭」(旧全日本有線放送大賞 ゴールドアーティスト賞受賞。06年には初主演舞台「終着駅」(全10回公演/音楽制作:つんく)、07年 故郷、岐阜県「飛騨・美濃観光大使」就任。主演舞台「東京」(全14回公演)、15年 第39回全国育樹祭にて皇太子殿下ご臨席のもと国歌独唱。
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2021/05/20