何も持っていない、ただの26歳の女の子だった2012年9月に女性ファッション誌『LARME』(徳間書店)を創刊した。女性誌が一つもない出版社で、机もPCも編集部員もゼロ。「ラルム箱」と描かれた段ボールに私物や郵便物を入れて、たった1人でスタートした。徳間書店史上最年少編集長として、翌年には累計発行部数23万部という大ヒットへ導いた編集者・中郡暖菜氏。編集長を4年間務めると、同編集部を離れてからは『bis』(光文社)の編集長を経て、写真集の制作、アパレルやコスメのプロデュースなど多岐にわたって手がけてきた。
“編集者”という枠にとらわれない活動を続けてきたが、自身が創刊させた『LARME』が今年3月に休刊したことを受け、自らがLARMEの事業を徳間書店から買い取り、「株式会社LARME」を設立。今年9月の復刊を目指し、ただの編集長ではなく会社の代表でもある“代表取締役兼編集長”として、新たに動き出した。復刊させる狙いや見据えている『LARME』の未来について、話を聞いた。
■大ヒットで“看板が大きくなりすぎた”LARME 苦渋の決断で編集部を離れた過去
自身が、企画書を持ち込んで創刊した『LARME』は、独自のファッションやモデルの人選で確固たる世界観を確立し、中郡氏の編集方針は大きな支持を集めた。復刊に向けて動き出している中、そもそもなぜ愛着のある雑誌を離れたのか、その背景から振り返ってもらった。
「いろいろ言えないこともあるのですが(笑)、簡単に言うと『LARME』が大きくなりすぎてしまい社内政治に巻き込まれた、という感じです。最初は編集長の私の判断で何でも進められていたのに、規模が大きくなるにつれて会社のいろんな部署の意思が入ってくるようになって。私はフリーの編集者として編集長契約を結んでいたのですが、『編集長が社員じゃないと困る』ということで正社員になった時期もありました。そのときに雑誌の部数を決める販売部や、“会社の意向”という大きな壁にぶつかり、難しさを感じました」
ある号でモデルの写真集を付録にした「特別版」を作ったところ、予想以上のヒットを記録。1年後に販売部から「また写真集付きの特別版を作ってほしい」と要望され、中郡氏は実際に動いたが、本気で欲しい人にだけ届くプレミア感を大事にしたいと「前回と同規模、もしくはやや少ない部数が適正ではないか」と伝えていた。しかし実際には、販売部の独断で前回の2倍の部数が刷られることになる。「そんなに刷るなら、作戦をもっと考えたかったのに、本ができあがって発売直前に部数を聞かされた。それに対して文句を言ったら『正社員は会社の決定に従うものだ』と言われたので、私には無理だと思いフリーランスに戻りました……」。また、編集部は中郡氏と同世代の20代〜30代の女性ばかりだったが、妊娠・出産・留学などで退社する人がいると「マネジメント能力が足りない」と事業部長から指摘されることもあったという。
『LARME』という看板が大きくなるのと反比例するように、自分の意志だけでは雑誌を作ることができない。クリエイティブとビジネスの狭間でジレンマを抱えるなか、迎えた契約更新で先の事業部長から提示された条件変更案は“編集長から普通の編集部員へ”という屈辱的な内容だった。さらに「他の部署からやってきたばかりの事業部長のおじさんから『LARMEはあなたのものじゃない、会社のものだ』と言われたのが、すごくショックで……。いろんなことが上手くいかず、最後は地獄のような心境になり、LARMEに愛情はありましたが離れる決断をしました。私のLARMEへの想いが大きくなりすぎたことが、ダメになってしまった原因だと思いました」。
■編集者の肩書きにとらわれない分野で活躍も… 一本の電話が運命を導く
約1年の充電期間を経た2017年5月、光文社で11年前に休刊していた『bis』を復刊させ編集長に就任。心がけたのは「LARMEの反省を踏まえて、自分と雑誌の間の距離を保ち、冷静な大人のビジネス目線を持ちたかった。自分で雑誌の名前を考えると愛着が出てきてしまうので、新しい雑誌名をつけてほしいという依頼をお断りしてまで、新雑誌を作るのではなく『bis』を復活させるということにこだわりました。そして、会社のマネジメントに関与せず、クリエイティブに専念できる形での契約をお願いしました」。“フラットな目線の編集長”として新たなスタートを切ったが、次第に違和感を覚えていった。
「光文社の皆さんにはいろいろと良くしていただいたのですが、いわゆる“社会人っぽい仕事”の仕方が自分に向いてないということがよくわかりました。もちろん力を入れてbisの制作に取り組んでいたのですが、『LARMEはあなたのものじゃない』と言われたショックからか、“この雑誌は自分のものではないのだ”という思いが消えなくて。以前のように、人生を懸けて本を作るというところには至りませんでした」
2018年10月に『bis』の編集を退任。『LARME』以前のキャリアから数えて編集者として約10年にわたって全力疾走してきたが、中郡氏の「本を作りたい」という意欲は小さくなっていった。それからは、肩書きにとらわれず出版以外の分野での活動を広げていったが、一本の電話が、彼女をまた編集者という運命に導いていく。
「今年の1月、LARME編集部から『LARMEが休刊することになりそうです。どうにか助けてもらえないでしょうか』と連絡がありました。私は自分が離れてからのLARMEをまったく読んでおらず、内情も全然知らなかったのですが、どうやらさまざまな苦労があって、継続が困難になってしまっている、と。出版は斜陽産業だから、ビジネスとして積極的にやりたい人を見つけるのは難しかったです。でも、私は自分が作った雑誌だから離れていても思い入れは強かったし、これまでの出版ビジネスのルールにとらわれることなく、雑誌を柱にした事業展開を行えば、新しい雑誌・出版のモデルを描けるという確信がありました」
そして、LARMEを復活させて運営するために自らが会社を設立し、徳間書店からLARMEを買い取るという大きな決断を下した。中郡氏は「自分が会社を作るなんて、決して望んでいたことではなかったのですが、LARMEがなくなることは絶対に避けたかった」と強い口調で語る。LARMEほどの規模の雑誌が出版社から独立するのは、業界の歴史の中でも珍しいことだが、「『また中郡の作ったLARMEを見たい』と言ってくださる協力者の方々からの出資も受け、スタートアップという形です。育ったサービスを独立させて別会社として運営するのは、IT業界など最近の新しい業界では一般的なことなので、出版業界以外の人には『なるほどね』と理解してもらえました。過去にLARMEやbisでも資金調達やM&Aをやりたかったのですが、中々そういう考えを理解してくれる人がいませんでした」と明かす。
■雑誌を柱に総合的ビジネスで利益化を目指す 見据える未来は女性誌の新たな形
今後はBtoCをはじめ、LARMEとしてさまざまなビジネスを手がけていくが、本としての雑誌を発行することに強いこだわりを持ち続けていく。「純粋な出版以外のビジネスを“金儲けのためにやってる”と見られるかもしれませんが、どう思われようがお金を稼いで、LARMEという雑誌を出すということが、私にとって何よりも大切です。雑誌を作るには大きな予算が必要で、それを稼ぐためなら私は何だってできます。一番大切な柱として雑誌があり、付随するビジネスで総合的に利益を出して、LARMEを守り続けていきます」。
また、中郡氏は「今後は他の女性誌も大きな出版社から独立していくことがあるかもしれない」と見据える。「人気のある女性誌は、長年にわたってそのブランド価値を高めていたので、いろんなビジネスができる可能性があると思っていました。しかし、看板の価値を考えずに単純に雑誌の売れ行きだけで休刊を判断されたり、逆に漫画や文芸など別部門で利益を出している出版社は余裕があるから、赤字でもこれまでのビジネスのやり方をあまり変えずに女性誌を出し続けています。そういった出版社の事情に左右されず、看板を生かして発展できる可能性が女性誌にはあるはずなので、LARMEという会社で出版をメインにしながら出版にとらわれない、新しいビジネスの形を見せていきます」。
LARME復活に向けて新しいスタートを切った直後、世界中は新型コロナウイルスの脅威に襲われた。この状況は雑誌というメディアにどんな影響を及ぼすのか。中郡氏は「全ての業界に言えることですが、本当に大事なことや強い意思のある物が残っていく時代になると考えています。いろんなことが起こりましたが、本の価値は高まったと思っています。今のコミュニケーションはSNSがメジャーですが、自分にとって必要としない情報や傷ついてしまう言葉に触れてしまうことも多いです。それに比べて本ってすごく優しい存在で、作っている人と読んでいる人の間で1対1のいい空気のコミュニケーションが取れるし、同じ言葉でも本とSNSでは、伝える側も受け取る側も印象は違ってくる」と持論を述べる。
そして、『LARME』の由来を振り返りながら、復活に向けての決意を新たにした。「LARMEはフランス語で“涙”という意味で、この雑誌が女の子の涙の代わりになり、読んでいる間は悲しいことを忘れられて幸せな気持ちになれる、そんな願いを込めて名付けました。LARMEがこだわっている世界観は、インターネットやSNS、YouTubeだけでは作り上げることはできません。誹謗中傷の言葉があふれ、精神的にトゲトゲしやすい時代ですが、そんなタイミングで再出発するなんて、LARMEというタイトルが運命づけられたような気もしました。これまで雑誌に最も必要とされてきた情報の多さや早さよりも、LARMEのような自分に寄り添う存在を求める状況になってきているかもしれない。だから私は、出版業界の可能性を広げることと、何よりも読んでくれる人たちの涙の代わりになるようなすてきな本を作る、というこの2つだけを考えていきます。それ以外のことは、どうでもいい」。
最後に、かつてLARMEを読んでいた人、新しいLARMEに期待する人へ、メッセージを送ってもらった。
「衣食住に比べて、雑誌は必要のないものかもしれませんし、コロナのこともあって、優先順位は下がったかもしれません。本が無くなっても我々は死なないですから。だけど、何かの本を読んで励まされた記憶、本を読んで救われた記憶、この気持ちをずっと覚えておきたいと思った本の記憶は、誰しもにあるんじゃないかと思います。それは、衣食住では感じ得ない感覚ではないでしょうか。私自身も、数々のすてきな本との出会いが、今の自分を形成していると思っています。読んでくださった方が、これは世界中でただ一人自分のための本だ!って思ってもらえるような、誰かの味方になれるような本をこれからも作っていきます。この世に雑誌が必要なんだって証明したい。LARME風でもないし、LARMEっぽくもない、LARMEそのものである私がまた編集長として作りますので、本物の本の力を期待していてください。そして、今までの女性ファッション誌であるという枠を超えて、LARMEという概念になれるくらい多くの方の涙の代わりになりたいです。目指すのは、アニメの枠を超えて概念の存在となった『まどマギ』ですね(笑)」
“編集者”という枠にとらわれない活動を続けてきたが、自身が創刊させた『LARME』が今年3月に休刊したことを受け、自らがLARMEの事業を徳間書店から買い取り、「株式会社LARME」を設立。今年9月の復刊を目指し、ただの編集長ではなく会社の代表でもある“代表取締役兼編集長”として、新たに動き出した。復刊させる狙いや見据えている『LARME』の未来について、話を聞いた。
■大ヒットで“看板が大きくなりすぎた”LARME 苦渋の決断で編集部を離れた過去
自身が、企画書を持ち込んで創刊した『LARME』は、独自のファッションやモデルの人選で確固たる世界観を確立し、中郡氏の編集方針は大きな支持を集めた。復刊に向けて動き出している中、そもそもなぜ愛着のある雑誌を離れたのか、その背景から振り返ってもらった。
「いろいろ言えないこともあるのですが(笑)、簡単に言うと『LARME』が大きくなりすぎてしまい社内政治に巻き込まれた、という感じです。最初は編集長の私の判断で何でも進められていたのに、規模が大きくなるにつれて会社のいろんな部署の意思が入ってくるようになって。私はフリーの編集者として編集長契約を結んでいたのですが、『編集長が社員じゃないと困る』ということで正社員になった時期もありました。そのときに雑誌の部数を決める販売部や、“会社の意向”という大きな壁にぶつかり、難しさを感じました」
ある号でモデルの写真集を付録にした「特別版」を作ったところ、予想以上のヒットを記録。1年後に販売部から「また写真集付きの特別版を作ってほしい」と要望され、中郡氏は実際に動いたが、本気で欲しい人にだけ届くプレミア感を大事にしたいと「前回と同規模、もしくはやや少ない部数が適正ではないか」と伝えていた。しかし実際には、販売部の独断で前回の2倍の部数が刷られることになる。「そんなに刷るなら、作戦をもっと考えたかったのに、本ができあがって発売直前に部数を聞かされた。それに対して文句を言ったら『正社員は会社の決定に従うものだ』と言われたので、私には無理だと思いフリーランスに戻りました……」。また、編集部は中郡氏と同世代の20代〜30代の女性ばかりだったが、妊娠・出産・留学などで退社する人がいると「マネジメント能力が足りない」と事業部長から指摘されることもあったという。
『LARME』という看板が大きくなるのと反比例するように、自分の意志だけでは雑誌を作ることができない。クリエイティブとビジネスの狭間でジレンマを抱えるなか、迎えた契約更新で先の事業部長から提示された条件変更案は“編集長から普通の編集部員へ”という屈辱的な内容だった。さらに「他の部署からやってきたばかりの事業部長のおじさんから『LARMEはあなたのものじゃない、会社のものだ』と言われたのが、すごくショックで……。いろんなことが上手くいかず、最後は地獄のような心境になり、LARMEに愛情はありましたが離れる決断をしました。私のLARMEへの想いが大きくなりすぎたことが、ダメになってしまった原因だと思いました」。
■編集者の肩書きにとらわれない分野で活躍も… 一本の電話が運命を導く
約1年の充電期間を経た2017年5月、光文社で11年前に休刊していた『bis』を復刊させ編集長に就任。心がけたのは「LARMEの反省を踏まえて、自分と雑誌の間の距離を保ち、冷静な大人のビジネス目線を持ちたかった。自分で雑誌の名前を考えると愛着が出てきてしまうので、新しい雑誌名をつけてほしいという依頼をお断りしてまで、新雑誌を作るのではなく『bis』を復活させるということにこだわりました。そして、会社のマネジメントに関与せず、クリエイティブに専念できる形での契約をお願いしました」。“フラットな目線の編集長”として新たなスタートを切ったが、次第に違和感を覚えていった。
「光文社の皆さんにはいろいろと良くしていただいたのですが、いわゆる“社会人っぽい仕事”の仕方が自分に向いてないということがよくわかりました。もちろん力を入れてbisの制作に取り組んでいたのですが、『LARMEはあなたのものじゃない』と言われたショックからか、“この雑誌は自分のものではないのだ”という思いが消えなくて。以前のように、人生を懸けて本を作るというところには至りませんでした」
2018年10月に『bis』の編集を退任。『LARME』以前のキャリアから数えて編集者として約10年にわたって全力疾走してきたが、中郡氏の「本を作りたい」という意欲は小さくなっていった。それからは、肩書きにとらわれず出版以外の分野での活動を広げていったが、一本の電話が、彼女をまた編集者という運命に導いていく。
「今年の1月、LARME編集部から『LARMEが休刊することになりそうです。どうにか助けてもらえないでしょうか』と連絡がありました。私は自分が離れてからのLARMEをまったく読んでおらず、内情も全然知らなかったのですが、どうやらさまざまな苦労があって、継続が困難になってしまっている、と。出版は斜陽産業だから、ビジネスとして積極的にやりたい人を見つけるのは難しかったです。でも、私は自分が作った雑誌だから離れていても思い入れは強かったし、これまでの出版ビジネスのルールにとらわれることなく、雑誌を柱にした事業展開を行えば、新しい雑誌・出版のモデルを描けるという確信がありました」
そして、LARMEを復活させて運営するために自らが会社を設立し、徳間書店からLARMEを買い取るという大きな決断を下した。中郡氏は「自分が会社を作るなんて、決して望んでいたことではなかったのですが、LARMEがなくなることは絶対に避けたかった」と強い口調で語る。LARMEほどの規模の雑誌が出版社から独立するのは、業界の歴史の中でも珍しいことだが、「『また中郡の作ったLARMEを見たい』と言ってくださる協力者の方々からの出資も受け、スタートアップという形です。育ったサービスを独立させて別会社として運営するのは、IT業界など最近の新しい業界では一般的なことなので、出版業界以外の人には『なるほどね』と理解してもらえました。過去にLARMEやbisでも資金調達やM&Aをやりたかったのですが、中々そういう考えを理解してくれる人がいませんでした」と明かす。
■雑誌を柱に総合的ビジネスで利益化を目指す 見据える未来は女性誌の新たな形
今後はBtoCをはじめ、LARMEとしてさまざまなビジネスを手がけていくが、本としての雑誌を発行することに強いこだわりを持ち続けていく。「純粋な出版以外のビジネスを“金儲けのためにやってる”と見られるかもしれませんが、どう思われようがお金を稼いで、LARMEという雑誌を出すということが、私にとって何よりも大切です。雑誌を作るには大きな予算が必要で、それを稼ぐためなら私は何だってできます。一番大切な柱として雑誌があり、付随するビジネスで総合的に利益を出して、LARMEを守り続けていきます」。
また、中郡氏は「今後は他の女性誌も大きな出版社から独立していくことがあるかもしれない」と見据える。「人気のある女性誌は、長年にわたってそのブランド価値を高めていたので、いろんなビジネスができる可能性があると思っていました。しかし、看板の価値を考えずに単純に雑誌の売れ行きだけで休刊を判断されたり、逆に漫画や文芸など別部門で利益を出している出版社は余裕があるから、赤字でもこれまでのビジネスのやり方をあまり変えずに女性誌を出し続けています。そういった出版社の事情に左右されず、看板を生かして発展できる可能性が女性誌にはあるはずなので、LARMEという会社で出版をメインにしながら出版にとらわれない、新しいビジネスの形を見せていきます」。
LARME復活に向けて新しいスタートを切った直後、世界中は新型コロナウイルスの脅威に襲われた。この状況は雑誌というメディアにどんな影響を及ぼすのか。中郡氏は「全ての業界に言えることですが、本当に大事なことや強い意思のある物が残っていく時代になると考えています。いろんなことが起こりましたが、本の価値は高まったと思っています。今のコミュニケーションはSNSがメジャーですが、自分にとって必要としない情報や傷ついてしまう言葉に触れてしまうことも多いです。それに比べて本ってすごく優しい存在で、作っている人と読んでいる人の間で1対1のいい空気のコミュニケーションが取れるし、同じ言葉でも本とSNSでは、伝える側も受け取る側も印象は違ってくる」と持論を述べる。
そして、『LARME』の由来を振り返りながら、復活に向けての決意を新たにした。「LARMEはフランス語で“涙”という意味で、この雑誌が女の子の涙の代わりになり、読んでいる間は悲しいことを忘れられて幸せな気持ちになれる、そんな願いを込めて名付けました。LARMEがこだわっている世界観は、インターネットやSNS、YouTubeだけでは作り上げることはできません。誹謗中傷の言葉があふれ、精神的にトゲトゲしやすい時代ですが、そんなタイミングで再出発するなんて、LARMEというタイトルが運命づけられたような気もしました。これまで雑誌に最も必要とされてきた情報の多さや早さよりも、LARMEのような自分に寄り添う存在を求める状況になってきているかもしれない。だから私は、出版業界の可能性を広げることと、何よりも読んでくれる人たちの涙の代わりになるようなすてきな本を作る、というこの2つだけを考えていきます。それ以外のことは、どうでもいい」。
最後に、かつてLARMEを読んでいた人、新しいLARMEに期待する人へ、メッセージを送ってもらった。
「衣食住に比べて、雑誌は必要のないものかもしれませんし、コロナのこともあって、優先順位は下がったかもしれません。本が無くなっても我々は死なないですから。だけど、何かの本を読んで励まされた記憶、本を読んで救われた記憶、この気持ちをずっと覚えておきたいと思った本の記憶は、誰しもにあるんじゃないかと思います。それは、衣食住では感じ得ない感覚ではないでしょうか。私自身も、数々のすてきな本との出会いが、今の自分を形成していると思っています。読んでくださった方が、これは世界中でただ一人自分のための本だ!って思ってもらえるような、誰かの味方になれるような本をこれからも作っていきます。この世に雑誌が必要なんだって証明したい。LARME風でもないし、LARMEっぽくもない、LARMEそのものである私がまた編集長として作りますので、本物の本の力を期待していてください。そして、今までの女性ファッション誌であるという枠を超えて、LARMEという概念になれるくらい多くの方の涙の代わりになりたいです。目指すのは、アニメの枠を超えて概念の存在となった『まどマギ』ですね(笑)」
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2020/06/05