■「Film makers(映画と人 これまで、そして、これから)」第18回 オダギリ ジョー監督
俳優として数々の作品に出演し、高い評価を得ているオダギリジョーが、長編初監督として臨んだ映画『ある船頭の話』が完成した。前回監督としてメガホンをとった『さくらな人たち』から約10年。オダギリ監督は作品にどんな思いを込めたのだろうか――胸の内を聞くと、日本映画界への危機感が垣間見えてきた。
■『さくらな人たち』と同時に書き進められた脚本
前作『さくらな人たち』が、一部劇場で限定公開されたのが2009年4月。そこから10年のときを経て、初となる長編映画『ある船頭の話』が劇場公開となる。本作は、明治から大正を思わせる時代、とある河で、村と街を繋ぐための河の渡しを正業としているトイチという老人を通して、人間にとって本当の価値とはなにかを問う物語だ。オダギリ監督が脚本を書いたのは約10年前だという。
「実は『さくらな人たち』と同時にこの作品の脚本も書いていたんです。僕自身、俳優のときもそうなのですが、一つの役にグッと集中したいときもある一方で、同時にもう一つまったくちがう役をやることで、そのふり幅が互いに良い影響を与えることがあったりするんです。『さくらな人たち』は馬鹿馬鹿しいコメディ。『ある船頭の話』は真面目な話だったので、両方進めることでバランスをとっていたんです」。
同時に進んでいた脚本。作品の規模やテーマ性を考えたとき、『ある船頭の話』は製作費もかかることが想像され、中途半端に手を出すのはもったいないという思いもあり、一旦止めたという。そこから「映像を作る気になれなくなった」ことで、その脚本は、そのまま放っておかれた。
■いまの分かりやすいものを投げかける風潮を疑問視していた
それから10年、映画『宵闇真珠』でメガホンをとった名カメラマン、クリストファー・ドイルから映画監督を勧められ、止まっていたときが動き出した。「クリスと一緒に楽しいことをしたかったという思いと、彼なら、きっとこの作品を良いものにしてくれるだろうという確信が持てたんです」。
脚本は10年前に書いたものから、設定や時代背景はほぼ変えず、唯一調整を施したのが主人公。執筆当時は、オダギリ監督自身が演じるつもりだったというが、本作では名優・柄本明が務めることになった。その理由について「本気で取り組むなら、監督と俳優の両方をやるだけの余裕がないと思ったから」と明確に答える。
映像化された作品は、柄本演じる主人公・トイチと、彼に河を渡してもらうためにやってくる人々との舟上での会話をメインに、ミニマムかつシンプルに展開する。それだけに、映像には余白が多く、想像力を掻き立てる。「いまの映画は、分かりやすいものを投げかけ、簡単に答えを渡すものが多い。そういうものを全面的に疑問視していました。脚本の段階から、いろいろな解釈ができる余白は意識していました」。
■説明過多の映画に飽き飽きしていた部分がある
オダギリ監督の指摘通り、現在のエンターテインメントの世界では、広くターゲットを設定し、多くの人にとって“分かりやすい”映画がヒットを生み出す傾向になっている。その意味で、作家性が強く、想像力を掻き立てる余白の多い映画は、企画として成立しづらい環境にあるのではないか。
「確かに映画をビジネスと考えることがいまの映画界のメインストリームと言えるのかもしれません。それはもちろん当たり前のことではあるのですが、一方で、僕ら役者もスタッフも、そういうビジネス的な映画ばかりの現状に飽き飽きしている部分もある。そんななか、僕の脚本をやろうと言ってくれた製作総指揮の木下直哉さんは、とても懐の深い方だなと思うし、日本映画界を変えてくれる可能性のある存在です」。
こうしたオダギリ監督の心意気に、多くの賛同者が集まった。圧倒的な自然のなか、過酷な撮影も続いたというが、スタッフも役者も「本当に難しいことをしようとしているね」と言いつつも、みな目を輝かせて作品に参加してくれたという。「まだまだ日本映画に期待している。映画を文化という側面で考えることを見失いかけている寂しさに対して、思うところがある人はたくさんいると思うんです」。
■自分で映画監督と名乗るつもりはない
自らが先頭に立ち、多くの映画人と共に作り上げた『ある船頭の話』。撮影中は体調不良に悩まされるほど、苦悩に満ち溢れていたという。
「僕にとって映画監督という仕事は、憧れでもありましたが、撮影は本当に大変でした。改めて過酷な職業だということが身に沁みましたし、今後も憧れとして大切にしていこうという思いです。1本撮ったからと言って、調子に乗るようなことはしたくないし、自分で映画監督と名乗るつもりもないです。映画監督と呼ばれる人はいるわけで、自分が撮るなら、ほかの人では撮れないようなオリジナルで作家性が強いものでなくてはいけないと思っています。ほかの監督と正面から戦える作品でなければいけないですよね」。
映画監督として俳優と対峙したオダギリ監督。そこには自身も“俳優”だからこその配慮があった。
「俳優として日々演出を受ける側でもあるのですが、正直気持ちよく演じられるときと、まったく気持ちが向かないときがあります。それは人それぞれスタイルがあるからであり、基本的には俳優によって演出は変えるべきだと思う。僕は同業者として役者の生理がわかるからこそ、説明した方がいいのか、いまは余計なことを言わない方がいいのか、敏感に感じ取ってそれぞれに導いていくことがベストだと思っています」。
■柄本明という俳優のすごさとは
そんななか、主演を務めた柄本と対峙して、芝居の技術はもちろんだが、ほかにも強く感じたことがあった。それが“人間力”だという。オダギリ監督は『ある船頭の話』のプレスシートをめくると、大写しになった柄本の横顔のページで手を止めて説明を始める。
「普通、メインビジュアルとかでも、ほとんどの写真は、『撮ります』と言って撮影した写真を使うのですが、ここに掲載されている写真は、俳優がいつどこで撮っているか分からないようなものが使われている。もちろんカメラマンの力ではあるが、それでも絵になるところが柄本さんの素晴らしさ。芝居をしているときの素晴らしさはもちろんなのですが、無防備にただ佇んでいるだけでも、奥行きを感じる。存在としての素晴らしさがある。それは経験を積み重ねることで得られるものではなく、その人の持つ人間力だと思います。結局役者ってそういうものが芝居に出ますよ。どういった人生を過ごしたかが、出てきてしまうんです」。
脚本、映像、俳優……どれをとっても、多くの想像力を掻き立てられる映画らしい映画と言える『ある船頭の話』。説明過多な作品に慣れた人には、難しい作品に感じられるかもしれないが、だからこそ「若い世代にも観てほしい」とオダギリ監督は言う。
「いまはインターネットも普及して、なんでも調べたら答えが出てきてしまう。便利である一方で、想像する力が欠如してしまう怖さもある。でも、そんななか、いつの時代でも、用意された枠に居心地の悪さを感じ、それを壊して外に飛び出ようとする子っていると思うんです。そういった敏感な子たちが、映画という文化でなにかを感じ取ってもらえれば、それはすごく意義のあることだと思う」。
オダギリ監督の大いなる挑戦。こうした映画が、老若男女、幅広い層に伝わることが、日本映画界の未来を明るくすることにつながるのだろう。(取材・文:磯部正和)
俳優として数々の作品に出演し、高い評価を得ているオダギリジョーが、長編初監督として臨んだ映画『ある船頭の話』が完成した。前回監督としてメガホンをとった『さくらな人たち』から約10年。オダギリ監督は作品にどんな思いを込めたのだろうか――胸の内を聞くと、日本映画界への危機感が垣間見えてきた。
■『さくらな人たち』と同時に書き進められた脚本
前作『さくらな人たち』が、一部劇場で限定公開されたのが2009年4月。そこから10年のときを経て、初となる長編映画『ある船頭の話』が劇場公開となる。本作は、明治から大正を思わせる時代、とある河で、村と街を繋ぐための河の渡しを正業としているトイチという老人を通して、人間にとって本当の価値とはなにかを問う物語だ。オダギリ監督が脚本を書いたのは約10年前だという。
「実は『さくらな人たち』と同時にこの作品の脚本も書いていたんです。僕自身、俳優のときもそうなのですが、一つの役にグッと集中したいときもある一方で、同時にもう一つまったくちがう役をやることで、そのふり幅が互いに良い影響を与えることがあったりするんです。『さくらな人たち』は馬鹿馬鹿しいコメディ。『ある船頭の話』は真面目な話だったので、両方進めることでバランスをとっていたんです」。
同時に進んでいた脚本。作品の規模やテーマ性を考えたとき、『ある船頭の話』は製作費もかかることが想像され、中途半端に手を出すのはもったいないという思いもあり、一旦止めたという。そこから「映像を作る気になれなくなった」ことで、その脚本は、そのまま放っておかれた。
■いまの分かりやすいものを投げかける風潮を疑問視していた
それから10年、映画『宵闇真珠』でメガホンをとった名カメラマン、クリストファー・ドイルから映画監督を勧められ、止まっていたときが動き出した。「クリスと一緒に楽しいことをしたかったという思いと、彼なら、きっとこの作品を良いものにしてくれるだろうという確信が持てたんです」。
脚本は10年前に書いたものから、設定や時代背景はほぼ変えず、唯一調整を施したのが主人公。執筆当時は、オダギリ監督自身が演じるつもりだったというが、本作では名優・柄本明が務めることになった。その理由について「本気で取り組むなら、監督と俳優の両方をやるだけの余裕がないと思ったから」と明確に答える。
映像化された作品は、柄本演じる主人公・トイチと、彼に河を渡してもらうためにやってくる人々との舟上での会話をメインに、ミニマムかつシンプルに展開する。それだけに、映像には余白が多く、想像力を掻き立てる。「いまの映画は、分かりやすいものを投げかけ、簡単に答えを渡すものが多い。そういうものを全面的に疑問視していました。脚本の段階から、いろいろな解釈ができる余白は意識していました」。
■説明過多の映画に飽き飽きしていた部分がある
オダギリ監督の指摘通り、現在のエンターテインメントの世界では、広くターゲットを設定し、多くの人にとって“分かりやすい”映画がヒットを生み出す傾向になっている。その意味で、作家性が強く、想像力を掻き立てる余白の多い映画は、企画として成立しづらい環境にあるのではないか。
「確かに映画をビジネスと考えることがいまの映画界のメインストリームと言えるのかもしれません。それはもちろん当たり前のことではあるのですが、一方で、僕ら役者もスタッフも、そういうビジネス的な映画ばかりの現状に飽き飽きしている部分もある。そんななか、僕の脚本をやろうと言ってくれた製作総指揮の木下直哉さんは、とても懐の深い方だなと思うし、日本映画界を変えてくれる可能性のある存在です」。
こうしたオダギリ監督の心意気に、多くの賛同者が集まった。圧倒的な自然のなか、過酷な撮影も続いたというが、スタッフも役者も「本当に難しいことをしようとしているね」と言いつつも、みな目を輝かせて作品に参加してくれたという。「まだまだ日本映画に期待している。映画を文化という側面で考えることを見失いかけている寂しさに対して、思うところがある人はたくさんいると思うんです」。
■自分で映画監督と名乗るつもりはない
自らが先頭に立ち、多くの映画人と共に作り上げた『ある船頭の話』。撮影中は体調不良に悩まされるほど、苦悩に満ち溢れていたという。
「僕にとって映画監督という仕事は、憧れでもありましたが、撮影は本当に大変でした。改めて過酷な職業だということが身に沁みましたし、今後も憧れとして大切にしていこうという思いです。1本撮ったからと言って、調子に乗るようなことはしたくないし、自分で映画監督と名乗るつもりもないです。映画監督と呼ばれる人はいるわけで、自分が撮るなら、ほかの人では撮れないようなオリジナルで作家性が強いものでなくてはいけないと思っています。ほかの監督と正面から戦える作品でなければいけないですよね」。
映画監督として俳優と対峙したオダギリ監督。そこには自身も“俳優”だからこその配慮があった。
「俳優として日々演出を受ける側でもあるのですが、正直気持ちよく演じられるときと、まったく気持ちが向かないときがあります。それは人それぞれスタイルがあるからであり、基本的には俳優によって演出は変えるべきだと思う。僕は同業者として役者の生理がわかるからこそ、説明した方がいいのか、いまは余計なことを言わない方がいいのか、敏感に感じ取ってそれぞれに導いていくことがベストだと思っています」。
■柄本明という俳優のすごさとは
そんななか、主演を務めた柄本と対峙して、芝居の技術はもちろんだが、ほかにも強く感じたことがあった。それが“人間力”だという。オダギリ監督は『ある船頭の話』のプレスシートをめくると、大写しになった柄本の横顔のページで手を止めて説明を始める。
「普通、メインビジュアルとかでも、ほとんどの写真は、『撮ります』と言って撮影した写真を使うのですが、ここに掲載されている写真は、俳優がいつどこで撮っているか分からないようなものが使われている。もちろんカメラマンの力ではあるが、それでも絵になるところが柄本さんの素晴らしさ。芝居をしているときの素晴らしさはもちろんなのですが、無防備にただ佇んでいるだけでも、奥行きを感じる。存在としての素晴らしさがある。それは経験を積み重ねることで得られるものではなく、その人の持つ人間力だと思います。結局役者ってそういうものが芝居に出ますよ。どういった人生を過ごしたかが、出てきてしまうんです」。
脚本、映像、俳優……どれをとっても、多くの想像力を掻き立てられる映画らしい映画と言える『ある船頭の話』。説明過多な作品に慣れた人には、難しい作品に感じられるかもしれないが、だからこそ「若い世代にも観てほしい」とオダギリ監督は言う。
「いまはインターネットも普及して、なんでも調べたら答えが出てきてしまう。便利である一方で、想像する力が欠如してしまう怖さもある。でも、そんななか、いつの時代でも、用意された枠に居心地の悪さを感じ、それを壊して外に飛び出ようとする子っていると思うんです。そういった敏感な子たちが、映画という文化でなにかを感じ取ってもらえれば、それはすごく意義のあることだと思う」。
オダギリ監督の大いなる挑戦。こうした映画が、老若男女、幅広い層に伝わることが、日本映画界の未来を明るくすることにつながるのだろう。(取材・文:磯部正和)
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2019/09/17