今年2月、20年以上にわたって所属した事務所から独立した作曲家の梶浦由記氏(52)。これまで『魔法少女まどか☆マギカ』『ソードアート・オンライン』など人気アニメの劇伴音楽を多く手がけてきた一方で、女性3人組ボーカルユニット・Kalafinaのプロデューサーをデビューから約10年務め、日本のみならず海外にも多くのファンを獲得してきた。独立を機にKalafinaのプロデュースから一旦身を引いた今、梶浦氏は彼女たちにどんな思いを抱いているのか。独立後初となる今回のインタビューで語られたのは、“作曲家と歌い手”プロフェッショナル同士が本気でぶつかりあったからこそ生まれる尊敬の念にあふれた言葉だった。
●10年かけ「プロデューサーへと育ててもらった」
Kalafinaは劇場アニメ『空の境界』の主題歌プロジェクトとして結成されたユニット。2008年のデビューから梶浦氏が全楽曲の作詞作曲・ディレクションを手がけてきた。今年3月末には、主に低音域を担当していたKeikoが契約満了に伴い事務所を退社している。
――梶浦さんはKalafinaに関して「プロデューサー」という立場でしたが、携わり方としてそれまでの作曲活動やソロ活動と明確に違う部分はありましたか
【梶浦】「私、いわゆる『プロデュース』はしてないんですよね。好きなように曲を書いてきただけなので。だから自分をプロデューサーと言ってしまうと、本物のプロデューサーの方々に申し訳ない思いがあります。彼女たちのために曲を書いたのではなく、曲のために彼女たちの声で歌ってもらったというのが始まりでしたので。
ただ、曲を一番良く、美しく聴いていただくためには3人の歌い手が最も輝くメロだったり歌詞を乗せなくてはいけない。なので、結果的に彼女たちが輝くということを考えて、考え抜いて曲にするし、歌ってもらって合わなければどんなに良い曲でもためらわず取り下げました。わかりづらいので『プロデューサー』と呼んでもらっていましたけど、あの3人ありきではなく、曲ありきで始まったという意味で、私がやったことはあくまで作詞・作曲・編曲であって、プロデュースと呼べるものではなかったのだと思います」。
――梶浦さんはソロプロジェクトとしてFictionJunctionの名義でも活動していらっしゃいます。Kalafinaもこうしたソロ活動の派生という捉え方だったのでしょうか。
【梶浦】「(Kalafinaとは)『ともに歩んだ』という感覚が近いと思います。『空の境界』で終われば違っていたかもしれませんが、グループの認知がどんどん広がって、これからどういう存在になっていくべきかというのは私もメンバーも悩んできた。だから、10年間かけて私もようやくプロデューサーへと育ててもらった、という感じかもしれません」。
――Kalafinaの曲作りで特にこだわっていたのはどんな点でしょうか
【梶浦】「私って歌い手さんが決まってないと曲が書けないタイプで、特にKalafinaに関しては適当な曲を書いて『これ歌ってください』というのは通用しない。当たり前ですが、あの3人に歌ってもらうのはすごく魅力的な声を持っているからで、一曲の中でその魅力を確実に聴かせられないと私の気が済まない。声萌えしたいので(笑)。3人の声がキラキラして『こう歌ったら“く〜っ”てなるでしょ!』みたいのがないと許容できないんですよ。曲ありきといいつつも、結果的には一緒に作ってる感じになってるかもしれません。3人とも世界に一つしかない声の持ち主なので。その人が一番栄えるものじゃないと聴いてる方も面白くないじゃないですか」。
●作り手と歌い手 最高の“戦い”で生まれた尊敬
――楽曲制作に関してメンバーたちと意見を出し合うようなことはしていたのでしょうか
【梶浦】「実は、曲を書く際にメンバーの意見を聞いたことは一度もないんです。3人も曲に関して要望してきたことはないですね。その分、ボーカルの表現に関しては、私のディレクションから彼女たちの欲が出てきて、いかに自分たちの表現にしていくか、という(発想の)ベクトルがありました。そして、その姿に今度は私がインスパイアされてまた新しい曲が生まれていくサイクル。いい相乗効果で10年やらせてもらいました。やっぱりそういう関係って長い時間をかけていかないと築けないですよ」。
――作り手の梶浦さんと歌い手の3人、立場は異なりますが、お互いの目線に対等な気概を感じます
【梶浦】「そうですね。だから、彼女たちのできることが増えると、Kalafinaの音楽の幅も自然と広がっていきました。最初、できることが比較的少なかった頃はジャンル感やサウンド頼みというか、誰が歌っても同じような曲を作っていたように思います。でも、徐々に声の個性や歌い方の粘りみたいなのが3人に出てきて、この部分はWakanaが歌わなければ良さが出ないとか、KeikoがHikaruが歌わなければこの曲にはならない、全く違うものになってしまうとか、そういうものにどんどん変わっていったんです。後年になればなるほど、他の人が歌ったら形ににならない曲が増えていきます。それは彼女たちの成長の証だし、彼女たちが成長すればするほど曲を書く側も自然と変わってくる。バトルみたいなものです、私と彼女たちの」。
――これまでバンド、ソロ、作曲家と様々なプロジェクトを並行して手がけてこられましたが、その中でKalafinaというのは改めてどんな存在でしたか
【梶浦】「Kalafinaって、私の夢の集大成的なところがあって。私は昔からオペラやコーラスが大好きで、アマチュアだった頃は女の子6人の編成でアカペラ曲もよく書いていたし、とにかく女性の声を重ねるのが好きでした。でも、昔はこんなジャンルを書きたいと思っても書けなかったし、アレンジもできなかった。おそらくデビューの時にKalafinaをやるチャンスがあったとしても絶対にできなかったと思います。
それがちょうど『空の境界』の時にタイミング良く形にできたんです。女声だけどコーラスだけじゃなくて、それぞれが戦い合うような強い個性の声が3つ集まったらどうなるか、20年くらい思い描いてきたことをやれるチャンスがいろんな意味で完璧に整ったタイミングでした。私の技量的にも、好き勝手やらせてもらえる環境という意味でも。ある程度サントラというものをやってきて、梶浦由記というものに対して周囲から信頼を得られないとできないことですから。いろんなめぐり合わせにとにかく恵まれました」。
――事務所から独立されて、一旦Kalafinaのプロデュースからは距離をおかれることになりました。一緒に歩んだ10年を振り返っていかがですか
【梶浦】「これまでよく歌い続けてくれたなと、感謝しかないです。同じユニットで、自分たちが何一つ希望を(曲について)述べられない、与えられた曲を力いっぱい歌うしかできない、歌い手として非常に不自由な状況下で、自分が歌いたい曲を歌うチャンスを一回も与えられずに彼女たちは10年間歌ってきたんですよ。それによく付き合ってくれたな、本当にすごい人たちだなって。常に本気で取り組んでくれて、歌もどんどん良くなって、それを10年続けてきた。それまで自分たちが聴いてこなかったジャンルを歌う難しさもあったでしょうし、私も容赦なく3人に要求してましたから、彼女たちの中でも結構な戦いがあったと思います。すべてのチャンスが整って、素晴らしい歌い手とめぐり逢い、がっつり一緒にやってくれたということは、奇跡のようだったと、今改めて感じています」。
●10年かけ「プロデューサーへと育ててもらった」
Kalafinaは劇場アニメ『空の境界』の主題歌プロジェクトとして結成されたユニット。2008年のデビューから梶浦氏が全楽曲の作詞作曲・ディレクションを手がけてきた。今年3月末には、主に低音域を担当していたKeikoが契約満了に伴い事務所を退社している。
――梶浦さんはKalafinaに関して「プロデューサー」という立場でしたが、携わり方としてそれまでの作曲活動やソロ活動と明確に違う部分はありましたか
【梶浦】「私、いわゆる『プロデュース』はしてないんですよね。好きなように曲を書いてきただけなので。だから自分をプロデューサーと言ってしまうと、本物のプロデューサーの方々に申し訳ない思いがあります。彼女たちのために曲を書いたのではなく、曲のために彼女たちの声で歌ってもらったというのが始まりでしたので。
ただ、曲を一番良く、美しく聴いていただくためには3人の歌い手が最も輝くメロだったり歌詞を乗せなくてはいけない。なので、結果的に彼女たちが輝くということを考えて、考え抜いて曲にするし、歌ってもらって合わなければどんなに良い曲でもためらわず取り下げました。わかりづらいので『プロデューサー』と呼んでもらっていましたけど、あの3人ありきではなく、曲ありきで始まったという意味で、私がやったことはあくまで作詞・作曲・編曲であって、プロデュースと呼べるものではなかったのだと思います」。
――梶浦さんはソロプロジェクトとしてFictionJunctionの名義でも活動していらっしゃいます。Kalafinaもこうしたソロ活動の派生という捉え方だったのでしょうか。
【梶浦】「(Kalafinaとは)『ともに歩んだ』という感覚が近いと思います。『空の境界』で終われば違っていたかもしれませんが、グループの認知がどんどん広がって、これからどういう存在になっていくべきかというのは私もメンバーも悩んできた。だから、10年間かけて私もようやくプロデューサーへと育ててもらった、という感じかもしれません」。
――Kalafinaの曲作りで特にこだわっていたのはどんな点でしょうか
【梶浦】「私って歌い手さんが決まってないと曲が書けないタイプで、特にKalafinaに関しては適当な曲を書いて『これ歌ってください』というのは通用しない。当たり前ですが、あの3人に歌ってもらうのはすごく魅力的な声を持っているからで、一曲の中でその魅力を確実に聴かせられないと私の気が済まない。声萌えしたいので(笑)。3人の声がキラキラして『こう歌ったら“く〜っ”てなるでしょ!』みたいのがないと許容できないんですよ。曲ありきといいつつも、結果的には一緒に作ってる感じになってるかもしれません。3人とも世界に一つしかない声の持ち主なので。その人が一番栄えるものじゃないと聴いてる方も面白くないじゃないですか」。
●作り手と歌い手 最高の“戦い”で生まれた尊敬
――楽曲制作に関してメンバーたちと意見を出し合うようなことはしていたのでしょうか
【梶浦】「実は、曲を書く際にメンバーの意見を聞いたことは一度もないんです。3人も曲に関して要望してきたことはないですね。その分、ボーカルの表現に関しては、私のディレクションから彼女たちの欲が出てきて、いかに自分たちの表現にしていくか、という(発想の)ベクトルがありました。そして、その姿に今度は私がインスパイアされてまた新しい曲が生まれていくサイクル。いい相乗効果で10年やらせてもらいました。やっぱりそういう関係って長い時間をかけていかないと築けないですよ」。
――作り手の梶浦さんと歌い手の3人、立場は異なりますが、お互いの目線に対等な気概を感じます
【梶浦】「そうですね。だから、彼女たちのできることが増えると、Kalafinaの音楽の幅も自然と広がっていきました。最初、できることが比較的少なかった頃はジャンル感やサウンド頼みというか、誰が歌っても同じような曲を作っていたように思います。でも、徐々に声の個性や歌い方の粘りみたいなのが3人に出てきて、この部分はWakanaが歌わなければ良さが出ないとか、KeikoがHikaruが歌わなければこの曲にはならない、全く違うものになってしまうとか、そういうものにどんどん変わっていったんです。後年になればなるほど、他の人が歌ったら形ににならない曲が増えていきます。それは彼女たちの成長の証だし、彼女たちが成長すればするほど曲を書く側も自然と変わってくる。バトルみたいなものです、私と彼女たちの」。
――これまでバンド、ソロ、作曲家と様々なプロジェクトを並行して手がけてこられましたが、その中でKalafinaというのは改めてどんな存在でしたか
【梶浦】「Kalafinaって、私の夢の集大成的なところがあって。私は昔からオペラやコーラスが大好きで、アマチュアだった頃は女の子6人の編成でアカペラ曲もよく書いていたし、とにかく女性の声を重ねるのが好きでした。でも、昔はこんなジャンルを書きたいと思っても書けなかったし、アレンジもできなかった。おそらくデビューの時にKalafinaをやるチャンスがあったとしても絶対にできなかったと思います。
それがちょうど『空の境界』の時にタイミング良く形にできたんです。女声だけどコーラスだけじゃなくて、それぞれが戦い合うような強い個性の声が3つ集まったらどうなるか、20年くらい思い描いてきたことをやれるチャンスがいろんな意味で完璧に整ったタイミングでした。私の技量的にも、好き勝手やらせてもらえる環境という意味でも。ある程度サントラというものをやってきて、梶浦由記というものに対して周囲から信頼を得られないとできないことですから。いろんなめぐり合わせにとにかく恵まれました」。
――事務所から独立されて、一旦Kalafinaのプロデュースからは距離をおかれることになりました。一緒に歩んだ10年を振り返っていかがですか
【梶浦】「これまでよく歌い続けてくれたなと、感謝しかないです。同じユニットで、自分たちが何一つ希望を(曲について)述べられない、与えられた曲を力いっぱい歌うしかできない、歌い手として非常に不自由な状況下で、自分が歌いたい曲を歌うチャンスを一回も与えられずに彼女たちは10年間歌ってきたんですよ。それによく付き合ってくれたな、本当にすごい人たちだなって。常に本気で取り組んでくれて、歌もどんどん良くなって、それを10年続けてきた。それまで自分たちが聴いてこなかったジャンルを歌う難しさもあったでしょうし、私も容赦なく3人に要求してましたから、彼女たちの中でも結構な戦いがあったと思います。すべてのチャンスが整って、素晴らしい歌い手とめぐり逢い、がっつり一緒にやってくれたということは、奇跡のようだったと、今改めて感じています」。
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2018/06/29