今年3月をもって21年半の歴史に終止符を打つフジテレビ系バラエティー番組『めちゃ×2イケてるッ!』(毎週土曜 後7:57)。数々の人気企画を生み出し、日本のバラエティー史に名を刻んだ人気番組の最後の花道を盛り上げるべく、ORICON NEWSではメンバー全員にインタビューを行い、リレー形式で毎週掲載していく。前回は『めちゃイケ』を引っ張ってきたナインティナインの岡村隆史が番組への思いを語ってくれたが、今回は創成期から番組を支えてきた武田真治と、2010年に行われた新メンバーオーディションで新たに加入した敦士。ともに俳優・モデルという“非芸人”の立場から『めちゃイケ』にどう関わってきたのかを聞いた。
■めちゃイケ終了で訪れた“終わらない放課後”との別れ「センチメンタルな気持ちに…」
武田:『めちゃイケ』は火曜と水曜に収録をやるんですけど、番組終了を岡村さんに報告されたのはある週の金曜日だったんです。舞台のけいこ中に「どうしても出てきてほしい」とのことだったので、ほかの仕事の都合を重んじてくれる『めちゃイケ』がそこまで言うなら、余程のことだと覚悟を持って臨みました。総監督の片岡飛鳥さんと岡村さんが決めたことは絶対に覆らないことを知っていたので、来る時が来たなと感じました。
敦士:終了が発表されてから、もう3ヶ月が経ちますけど、正直、僕は願望込みでまだウソの可能性もあるんじゃないかと思っています。みんなで一体となって“シュウ活”を盛り上げていますが、どこかで誰かが「ドッキリでしたー」と言ってくれないか期待しているところもあって…。やっぱり、それくらいの衝撃があります。
武田:終了が発表された後の収録でも、感情的な話は誰ともしていないんですけど、最近は会う度にメンバーと写真を撮っちゃいます(笑)。よく『めちゃイケ』は“終わらない放課後”だと言われるのですが、その放課後がとうとう終わるんだなってさみしくなりますね。僕なんかは昭和のテレビ番組を観て育っているので、土曜の夜ってすごく大事で、(前身番組の)『めちゃモテ』が決まった時は本当に楽しくてうれしかったんです。それが1年くらいですぐにゴールデンに昇格して、さらに22年近くも続きましたから、さすがにセンチメンタルな気持ちになっちゃいます。
敦士:土曜の夜8時は『全員集合』とか『ひょうきん族』とかを、家族みんなでテレビを囲んで見ていた時間帯ですから、そこにレギュラーで出演することの注目度は肌で感じていました。新メンバーオーディションの1回目が放送された直後に、モデルの仕事で愛知県に伺った時に、プライベートで松山城を登ろうと友人と一緒に行ったんですけど、ロープウェイのすれ違いざまに「敦士だ!」って言っていただいたことがありました。メンバーになる前から、こんなに反響があるんだと思っていたので、これは悪いことはできないなと感じましたね(笑)。『めちゃイケ』は僕の人生をまるっきり変えてくれた番組なので、今回の発表があって年が明けると、改めてジワッとするものが自分の中にもあります。
■メンバー同士のプライベートな付き合いはナシ 岡村ピリピリ時代の秘話を公開
武田:僕が北海道から東京にひとりで出てきたのが、1989年で17歳の時。その6年後に『めちゃモテ』が始まって、そこから数えたら23年くらいメンバーと一緒なんですよね。その間に、それぞれのメンバーの結婚・出産も番組を通して近くで見てきているので、特別な感情は芽生えますね。そんなこと言っておきながら、プライベートな付き合いはほとんどなくて、みんなで集まった飲み会もこれまで2回くらいしかありません。だから、気付いたらメンバーの誰かが結婚したり離婚したりする事態もしばしば発生します(笑)。
敦士:僕は2010年10月の新メンバーオーディションで受かってから『めちゃイケ』メンバーになったんですけど、その頃は岡村さんが休養中でいませんでした。そこから、しばらくして復帰された時に、現場の雰囲気が変わったのが印象的でしたね。その時に改めて「あぁ、めちゃイケだ」という気持ちになりましたから。そういえば、この機会だから聞きたいことがあるんですけど、僕らが入るもっと前の『めちゃイケ』は、岡村さんの台本が固まるまで収録が始まらないといううわさを聞いたことがありますが、それって本当ですか?
武田:あの頃の岡村さんは、収録直前までスタジオの隅の方でひとりフードをかぶって、誰ともコミュニケーション取ってなかったですね。『めちゃイケ』スタッフとスノボ行ったり、グアムに行ったりする今の岡村さんからは想像つかないけど、昔は誰も真意が掴み取れないまま、実質岡村さんひとりが走り抜けていた時期もありましたね。それからいろいろあって、今の感じになっていくんですけど、ご病気から復帰された後、ある時岡村さんが夜中に連絡をくれたんです。なにかあったのかとすぐに駆けつけたら、すでに濱口優さん、有野晋哉さん、中居正広くんがいて、相方の矢部浩之さんも後からやって来て…みたいな濃いメンバーで集まったこともありましたね(笑)。番組を通しても伝わっていると思いますが、岡村さんは恋愛や結婚などのプライベートなことをすべて犠牲にして、本当に身を削ってやっちゃう方なので、本音を言えば今でもほんのちょっとだけ心配です。だから…そう言った意味では、すべてを『めちゃイケ』に捧げ過ぎてきた岡村さんにはこれを機に、少しゆっくりと人生を楽しんでほしいです。お好きなアウトドアやDJなどで充実した時間を過ごして、いつまでも“カッコいいオヤジ”の代表でいてほしいですね。
■矢部とのNY旅で敦士の魅力が開花? 武田も期待「イチかバチかで…」
敦士:僕はオーディションを受けるにあたって「これまでやってきたモデルとしての仕事は全部なくなるかもしれないけど、ここで自分を変えたい!」という思いでした。その反面で怖さもあったのですが、実際に入ってみるとメンバーの皆さんが受け入れてくれたことで、自分らしくいられる場所ができたなといううれしさがありました。
武田:役者もやる敦士とは共通する部分が多いから、その気持ちはスゴくわかる。僕は、若い頃「自分が思うことが正しい」と天狗になっていた時期があったんですけど、そんな時に『めちゃイケ』を通して「おもしろいか、おもしろくないか」という物差しが、自分の人生の中に無理やり入ってきた。それは、今自分がどんなジャンルでお仕事をさせてもらう時にも大切にしている部分だし、そのことによって自分の伸びきっていた鼻をへし折ってもくれたので、人間的な成長に多大に影響を与えてくれたと思ってます。矢部さんをリーダーとして、エースストライカーに岡村さん、そして加藤さん、濱口さん…という笑いの点を取りにいく『めちゃイケ』の強力なシステムの中に参加できたことも、僕にとっては本当にとてつもなく大きな財産ですね。
敦士:先輩メンバーの皆さんの姿を見ていると、番組という枠を越えて本当にすべてさらけ出している感じがあってビックリします。加藤さんの新築の家にみんなで行って大暴れするなんて、よく考えたらめちゃくちゃですよ。僕も当然ながら被害に遭っていまして、知らないところで自宅にスタッフが来て嫁と写真を撮っていたり…普通のバラエティー番組って、あんなラフに家に行かないですよね(笑)。それに出産まで追っかけたりしていますから、改めて考えるとスゴい番組だなって思いますね。
武田:そういえば、敦士は「めちゃイケに何か恩返しがしたいけど、できなくてモヤモヤしている」って悩んでいたけど、今度放送される企画では矢部さんと2人きりでニューヨークに行くんでしょ? せっかくのチャンスだから、新メンバーオーディションの時のようにイチかバチかでめちゃくちゃやってきてよ(笑)。今後の芸能界での活動するためのオーディションだと思って、思いつくまま大暴れしてほしいな。
【※本インタビューはニューヨーク出発前に収録】
敦士:そうなんです。この間のナイナイさんと中居さんの3人旅の時に、男性レギュラー陣が全員そろった場面で、矢部さんが「敦士とは『めちゃイケ』が終わったら、一生会わへん気がする」とおっしゃったのがきっかけで、手錠につながられた状態でのニューヨーク2人旅が決まりました。2人きりでしっかり話したことがなかったので、僕は非常に楽しみにしていますし、視聴者の方にも今までなかった化学反応がお見せできたらなと思います。ただ、気合入りすぎて、空回りしないかが心配でして…。
武田:全力で空回っちゃえばいいんじゃない?(笑)。カメラが回っている時であれば、矢部さんが何とかバランスを取ってくれるだろうから。ただカメラがないところであんまりはしゃぐと、マジなトーンで怒られるから気をつけてね(笑)。まぁでも、オレはそこも含めてやりきってほしいんだよなー。敦士は人の顔色は見ちゃダメ。見たところで器用にどうにかできるわけじゃないだろ?
敦士:普段見たことのないような矢部さんの表情を引き出したいと思います!
◆武田真治(たけだ・しんじ)1972年12月18日生まれ、北海道出身。1989年の『第2回 JUNONスーパーボーイコンテスト』でグランプリを受賞し、芸能界入りを果たす。映画やドラマ、舞台で見せる独特な雰囲気で役者として活躍する一方、ミュージシャンのライブにサックスプレーヤーとして参加。その演奏は高い評価を得ている。『めちゃイケ』では、シャンプー刑事のシンディーや数取団のジョニーといったキャラクターで人気を博した。
◆敦士(あつし)1976年2月22日生まれ、岐阜県出身。モデルとして活動していたが、2010年10月に『めちゃイケ』新メンバーに選出。オーディションでは、Tバックをさらけ出して音楽に合わせて踊ったり、ウォーキングをするという大胆なパフォーマンスを見せた。ドラマ・映画、舞台にも出演し、俳優としても活躍。2013年公開の映画『仮面ライダー×仮面ライダー 鎧武&ウィザード 天下分け目の戦国MOVIE大合戦』のほか、情報番組のリポーター・料理番組など、数々の番組作品に出演している。
■めちゃイケ終了で訪れた“終わらない放課後”との別れ「センチメンタルな気持ちに…」
武田:『めちゃイケ』は火曜と水曜に収録をやるんですけど、番組終了を岡村さんに報告されたのはある週の金曜日だったんです。舞台のけいこ中に「どうしても出てきてほしい」とのことだったので、ほかの仕事の都合を重んじてくれる『めちゃイケ』がそこまで言うなら、余程のことだと覚悟を持って臨みました。総監督の片岡飛鳥さんと岡村さんが決めたことは絶対に覆らないことを知っていたので、来る時が来たなと感じました。
敦士:終了が発表されてから、もう3ヶ月が経ちますけど、正直、僕は願望込みでまだウソの可能性もあるんじゃないかと思っています。みんなで一体となって“シュウ活”を盛り上げていますが、どこかで誰かが「ドッキリでしたー」と言ってくれないか期待しているところもあって…。やっぱり、それくらいの衝撃があります。
武田:終了が発表された後の収録でも、感情的な話は誰ともしていないんですけど、最近は会う度にメンバーと写真を撮っちゃいます(笑)。よく『めちゃイケ』は“終わらない放課後”だと言われるのですが、その放課後がとうとう終わるんだなってさみしくなりますね。僕なんかは昭和のテレビ番組を観て育っているので、土曜の夜ってすごく大事で、(前身番組の)『めちゃモテ』が決まった時は本当に楽しくてうれしかったんです。それが1年くらいですぐにゴールデンに昇格して、さらに22年近くも続きましたから、さすがにセンチメンタルな気持ちになっちゃいます。
敦士:土曜の夜8時は『全員集合』とか『ひょうきん族』とかを、家族みんなでテレビを囲んで見ていた時間帯ですから、そこにレギュラーで出演することの注目度は肌で感じていました。新メンバーオーディションの1回目が放送された直後に、モデルの仕事で愛知県に伺った時に、プライベートで松山城を登ろうと友人と一緒に行ったんですけど、ロープウェイのすれ違いざまに「敦士だ!」って言っていただいたことがありました。メンバーになる前から、こんなに反響があるんだと思っていたので、これは悪いことはできないなと感じましたね(笑)。『めちゃイケ』は僕の人生をまるっきり変えてくれた番組なので、今回の発表があって年が明けると、改めてジワッとするものが自分の中にもあります。
■メンバー同士のプライベートな付き合いはナシ 岡村ピリピリ時代の秘話を公開
武田:僕が北海道から東京にひとりで出てきたのが、1989年で17歳の時。その6年後に『めちゃモテ』が始まって、そこから数えたら23年くらいメンバーと一緒なんですよね。その間に、それぞれのメンバーの結婚・出産も番組を通して近くで見てきているので、特別な感情は芽生えますね。そんなこと言っておきながら、プライベートな付き合いはほとんどなくて、みんなで集まった飲み会もこれまで2回くらいしかありません。だから、気付いたらメンバーの誰かが結婚したり離婚したりする事態もしばしば発生します(笑)。
敦士:僕は2010年10月の新メンバーオーディションで受かってから『めちゃイケ』メンバーになったんですけど、その頃は岡村さんが休養中でいませんでした。そこから、しばらくして復帰された時に、現場の雰囲気が変わったのが印象的でしたね。その時に改めて「あぁ、めちゃイケだ」という気持ちになりましたから。そういえば、この機会だから聞きたいことがあるんですけど、僕らが入るもっと前の『めちゃイケ』は、岡村さんの台本が固まるまで収録が始まらないといううわさを聞いたことがありますが、それって本当ですか?
武田:あの頃の岡村さんは、収録直前までスタジオの隅の方でひとりフードをかぶって、誰ともコミュニケーション取ってなかったですね。『めちゃイケ』スタッフとスノボ行ったり、グアムに行ったりする今の岡村さんからは想像つかないけど、昔は誰も真意が掴み取れないまま、実質岡村さんひとりが走り抜けていた時期もありましたね。それからいろいろあって、今の感じになっていくんですけど、ご病気から復帰された後、ある時岡村さんが夜中に連絡をくれたんです。なにかあったのかとすぐに駆けつけたら、すでに濱口優さん、有野晋哉さん、中居正広くんがいて、相方の矢部浩之さんも後からやって来て…みたいな濃いメンバーで集まったこともありましたね(笑)。番組を通しても伝わっていると思いますが、岡村さんは恋愛や結婚などのプライベートなことをすべて犠牲にして、本当に身を削ってやっちゃう方なので、本音を言えば今でもほんのちょっとだけ心配です。だから…そう言った意味では、すべてを『めちゃイケ』に捧げ過ぎてきた岡村さんにはこれを機に、少しゆっくりと人生を楽しんでほしいです。お好きなアウトドアやDJなどで充実した時間を過ごして、いつまでも“カッコいいオヤジ”の代表でいてほしいですね。
■矢部とのNY旅で敦士の魅力が開花? 武田も期待「イチかバチかで…」
敦士:僕はオーディションを受けるにあたって「これまでやってきたモデルとしての仕事は全部なくなるかもしれないけど、ここで自分を変えたい!」という思いでした。その反面で怖さもあったのですが、実際に入ってみるとメンバーの皆さんが受け入れてくれたことで、自分らしくいられる場所ができたなといううれしさがありました。
武田:役者もやる敦士とは共通する部分が多いから、その気持ちはスゴくわかる。僕は、若い頃「自分が思うことが正しい」と天狗になっていた時期があったんですけど、そんな時に『めちゃイケ』を通して「おもしろいか、おもしろくないか」という物差しが、自分の人生の中に無理やり入ってきた。それは、今自分がどんなジャンルでお仕事をさせてもらう時にも大切にしている部分だし、そのことによって自分の伸びきっていた鼻をへし折ってもくれたので、人間的な成長に多大に影響を与えてくれたと思ってます。矢部さんをリーダーとして、エースストライカーに岡村さん、そして加藤さん、濱口さん…という笑いの点を取りにいく『めちゃイケ』の強力なシステムの中に参加できたことも、僕にとっては本当にとてつもなく大きな財産ですね。
敦士:先輩メンバーの皆さんの姿を見ていると、番組という枠を越えて本当にすべてさらけ出している感じがあってビックリします。加藤さんの新築の家にみんなで行って大暴れするなんて、よく考えたらめちゃくちゃですよ。僕も当然ながら被害に遭っていまして、知らないところで自宅にスタッフが来て嫁と写真を撮っていたり…普通のバラエティー番組って、あんなラフに家に行かないですよね(笑)。それに出産まで追っかけたりしていますから、改めて考えるとスゴい番組だなって思いますね。
武田:そういえば、敦士は「めちゃイケに何か恩返しがしたいけど、できなくてモヤモヤしている」って悩んでいたけど、今度放送される企画では矢部さんと2人きりでニューヨークに行くんでしょ? せっかくのチャンスだから、新メンバーオーディションの時のようにイチかバチかでめちゃくちゃやってきてよ(笑)。今後の芸能界での活動するためのオーディションだと思って、思いつくまま大暴れしてほしいな。
【※本インタビューはニューヨーク出発前に収録】
敦士:そうなんです。この間のナイナイさんと中居さんの3人旅の時に、男性レギュラー陣が全員そろった場面で、矢部さんが「敦士とは『めちゃイケ』が終わったら、一生会わへん気がする」とおっしゃったのがきっかけで、手錠につながられた状態でのニューヨーク2人旅が決まりました。2人きりでしっかり話したことがなかったので、僕は非常に楽しみにしていますし、視聴者の方にも今までなかった化学反応がお見せできたらなと思います。ただ、気合入りすぎて、空回りしないかが心配でして…。
武田:全力で空回っちゃえばいいんじゃない?(笑)。カメラが回っている時であれば、矢部さんが何とかバランスを取ってくれるだろうから。ただカメラがないところであんまりはしゃぐと、マジなトーンで怒られるから気をつけてね(笑)。まぁでも、オレはそこも含めてやりきってほしいんだよなー。敦士は人の顔色は見ちゃダメ。見たところで器用にどうにかできるわけじゃないだろ?
敦士:普段見たことのないような矢部さんの表情を引き出したいと思います!
◆武田真治(たけだ・しんじ)1972年12月18日生まれ、北海道出身。1989年の『第2回 JUNONスーパーボーイコンテスト』でグランプリを受賞し、芸能界入りを果たす。映画やドラマ、舞台で見せる独特な雰囲気で役者として活躍する一方、ミュージシャンのライブにサックスプレーヤーとして参加。その演奏は高い評価を得ている。『めちゃイケ』では、シャンプー刑事のシンディーや数取団のジョニーといったキャラクターで人気を博した。
◆敦士(あつし)1976年2月22日生まれ、岐阜県出身。モデルとして活動していたが、2010年10月に『めちゃイケ』新メンバーに選出。オーディションでは、Tバックをさらけ出して音楽に合わせて踊ったり、ウォーキングをするという大胆なパフォーマンスを見せた。ドラマ・映画、舞台にも出演し、俳優としても活躍。2013年公開の映画『仮面ライダー×仮面ライダー 鎧武&ウィザード 天下分け目の戦国MOVIE大合戦』のほか、情報番組のリポーター・料理番組など、数々の番組作品に出演している。
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2018/02/08