どんなに歪んだ精神でもいても、周りから狂っていると思われていても、
病んでる人は日常生活を営むことができるし、愛を渇望し、嫉妬し、人生を苦しむ権利を持っています。
この作品を成立させるのは、主人公の迷惑ギリギリの行為(でもないストーキング)を冷静に見つめる意中の人の姿です。
この女性像は、母そのもの。
これは病人の映画ではないし、入院させるための映画ではありません。
誰でも人を愛することができ、その表現の仕方は様々で、そのかけがえのなさを噛み締めなければならないと感じれる作品です。
もし今、愛に苦しんでいる人であれば、みんなステファニーに嫌われるし、救われるし、反省するし、噛みつきたくなって、寝ちゃいます。
でも愛し愛されたことを忘れた人は、措置入院させようと医学用語と下ネタを連ねて寝ちゃうので、ご注意を。