“日本一熱い”ファンの裏に敏腕広報あり 千葉ロッテ・球団広報の“仕掛け術”とは?
「自分だったらこうやって情報発信する」勝算ありで千葉ロッテに
梶原野球が好きで、大学卒業後は野球の仕事がしたいと思い、新聞記者なって6年、阪神タイガースを担当している時でした。大阪にいる僕に誘いの言葉をいただいた時はすごくうれしかったですね。
野球担当記者として取材する中で、いつも「僕だったらこんなふうに情報発信するなとか、これを発信したら面白いよなという発想を持っていた」という梶原氏。千葉ロッテ入社を決意した時は「勝算とやりがいを感じていた」と振り返る。
梶原当時のロッテは、情報発信をほとんどしていなかった状態で、広報の分野はいわば荒野に近かったので耕すだけでした。さらに、伝統があるがゆえに拘束が多い阪神と違って、ロッテはどちらかというとフランクで斬新なイメージで、球団自体も新しい試みをしよういう姿勢でした。その柔らかさを打ち出せば、プロ野球界の中で新しい挑戦している球団としてイメージアップできるのではないかという漠然とした見通しがありました。
転身後、すぐに始めたのは、選手に積極的に声をかけ、ロッカールームにこまめに顔を出すこと。選手から信頼を得ることがスタートラインだと考えたためだ。
梶原選手からすれば、僕は大阪から来た初めて見るよくわからない人。警戒心でいっぱいです。選手は球団にとって一番の商品。ですから、その選手にまず信頼されないことには何事も始められないと考えました。そして、自分は結婚しているのか、子供は何人いるのか、どんな考えを持っているのか。自分の正体をしっかり伝え、悩みを打ち明け合うことから始めました。あとは、普段から、顔色いいねなど全選手とこまめに会話することも心がけ、今も用がなくてもロッカールームに顔を出しています。
幸いにも、梶原氏が広報担当に就任した2005年、千葉ロッテは日本一の栄光をつかむ。メディアの露出機会が多く作れたことも手伝って、梶原氏は選手各々の魅力を広く世間に発信、メディアとの関係も築いていった。
斬新なアイデアの裏に観客動員減で芽生えた危機感
梶原ずっとこんな感じで調子よくやっていけるんだろうと甘く見ていた自分がいました。それが2010年以降、明らかに手応えが薄くなって、選手の露出も、観客動員数も落ちてきてしまったんです。
打破のきっかけとなったのは、2011年から1年間、営業に転身したことだった。
梶原広報担当になって営業の大切さも知ったので、自分からメディアに足を運び、記者がどういうニーズを持ち、今だったらどうすれば売り込めるのかを直に感じたいと思いました。同時にこちらから営業に行かなくても取材に来てもらえる仕組みを作れたらと考えました。
それがその後のさまざまなアイデア企画を実現させる基となった。
毎日1面ネタをひねり出した阪神番の経験が斬新な企画につながる
梶原『挑発ポスター』はもう一度、原点に戻って千葉ロッテマリーンズの名物に力を入れようと再開することになり、そのなかでどれだけ価値を上げられるか、話題にできるかというところで尽力しました。(挑発ポスターも謎の魚も)根強いファンを増やしたいけれど、新しいファンも作りたい。千葉ロッテファン以外でも楽しめるものを作ることで、フックになってくれるのではないかと考えました。
一方、コアなファンに向けてはSNSを活用。2014年に公式You tubeチャンネルを開設し、ここでしか見られない場面や選手の一面を紹介。動画の再生回数は12球団中No.1を誇っている。さらに、地元・千葉日報での連載コラム「千葉魂」ではファンのツボをつく選手の魅力を執筆。その手腕はさすが元新聞記者ならではだが、これらアイデアを成功させる源に息づいているのも記者時代の経験だ。
梶原阪神担当記者って大変なんです。大阪のスポーツ新聞は1面は阪神でなければいけないというプレッシャーを背負わされている。でも、毎日、1面のネタになるようなことは起きませんからね。日常生活のトピックスを面白く記事にする癖が身につきました(笑)。例えば、ジャージが新しいとか髪形を変えたとか、ささいなことや平凡な一日でも、絶対何かあるはずだと分析する。それは6年間の記者時代に鍛えられたことですね。
元新聞記者だからこそ、かゆいところに手が届く的確な情報をメディアに
梶原とかく広報やPR会社は書いてほしいことを押し付けがちで、リリースも3〜4枚と長くなりがちです。そんなにたくさんの情報をもらっても、記事に入りきらないし、テレビのオンエアでも紹介しきれません。メディアとの付き合いでは、記者の気持ちを理解することが一番大切だと思っているので、リリースは1枚でわかりやすく簡潔にするよう意識しています。
特にシーズンオフは、試合のあるシーズン中と違って、毎日話題があるわけではない。どうやればメディアに取り上げてもらえるかを考えているという。
梶原選手の自主トレ公開日、会見日、発表日、井口監督が公の場に出る日など、オフは話題性のあるものの発表などをうまくスケジューリングし、バランスよく分散して発表をしています。3日連続で同じような話題にならないようにチーム系、事業系、選手活動系などもうまくバラすことも心がけています。
そんな梶原氏が今年、新たに仕掛けているのが、「謎の魚」のCDデビューと、新キャラクターの誕生。「失敗するかもしれない」と笑うが、それも梶原氏ならではの哲学だ。
梶原僕は広報はいいことばかり頭に置いておくと失敗すると思っているんです。ですから、ネットでも、ネガティブなコメントを積極的に見ています。なぜネガティブにとらえられたかを理解することで、次に出す時に、ここの表現を変えておこうとか、訓練になりますからね。
梶原平沢大河、安田尚憲、藤原恭大、佐々木朗希。高卒ドラフト1位で入団してきたこれらの選手は特に、今後球団の顔になる選手です。当然、露出も増える。マスコミやファンへどう対応するか、球団広報としてしっかりサポートしていきたいと思っています。
梶原氏の手腕によりさまざまなことを仕掛け続ける千葉ロッテ。だが、梶原氏が見つめるゴールはまだまだ先のよう。
梶原観客動員数が上がっているとはいえ、12球団の中では下の方。その自覚を持って、地に足をしっかりつけて、常に新しい情報を発信し続けたいと思っています。ロッテに誘っていただいた時、『12球団イチ魅力的な球団にしてほしい』と言われましたが、まだ完成していませんから。27歳の11月11日に頂いたオファー。そしてその時の約束はいつも胸の中に残っています。
文/河上いつ子