ダンサー育成&普及に尽力するSAMが語る「ダンスを仕事にするのが難しい現状」

 デビュー25周年を迎えるTRFでの活動と並行して、ダンサーの育成や東方神起などの他アーティストのライブ演出、プロデュースなどを行うSAM。昨年2月には、幅広い世代へのダンスの普及を目的とした一般社団法人ダレデモダンスを設立し、初心者や65歳以上の高齢者を対象にしたプログラムも開設。学校教育でのダンスや海外で活躍するダンサーも増え、需要が増えつつある近年、ダンサーの活躍の場を提供する次世代に向けた新たな取り組みについて話を聞いた。

ダンサーの活躍の場を増やすことを目的としたダンス舞台公演

――2017年9月にTRFの25周年を記念した初のダンス舞台公演『DANCE REPUBLIC〜The devotion』が上演されました。千秋楽で「来年、再来年と続けたい。若いダンサーの出口にもなるようにしていきたい」とコメントされていましたね。
SAM 若いダンサーが舞台に立つ場合、チケットのノルマや参加費などを自分たちで払うのが一般的。『DANCE REPUBLIC』を上演した趣旨の1つには、“その現状を変えていきたい”という思いがありました。アーティストのライブ、MVなどに出演する際はもちろんギャランティが発生しますが、ダンサーだけの舞台公演を興業として成立させるのは、まだまだ難しいのが現状です。プロのダンサーとしてステージに出演するのであれば、その対価を得るべきだし、そのお金で生活できるような環境を作りたい。それはずっと考えていることですね。

――ダンサーの人口が増えて、全体的なレベルが上がっているからこそ、職業として成り立たせる環境を整備したいと。
SAM はい。実際、日本のダンサーのレベルは本当に高いと思います。今はレッスンスタジオが充実して、いつでもどこでもダンスを習える環境がある。小さい頃からしっかりとレッスンを受けてきた世代が20 歳くらいになっていますが、彼らはこちらの要求に応えるテクニックもあるし、身体能力も高い。彼らが舞台の経験を積めば、さらにプロのレベルが上がっていくと思います。

――SAMさんが代表理事を務める一般社団法人ダレデモダンス(16年2月設立)もダンスの普及を目的としています。
SAM プロのダンサーの活躍の場を増やすことを目指している『DANCE REPUBLIC』とは違い、ダレデモダンスは初心者の方々にダンスの楽しさを伝えることを目的にしています。最初に手がけたのは、65歳以上の高齢者を対象にしたプログラムです。私の親族は医者なのですが、循環器系を専門にしている親戚から「心臓病疾患の患者さんのリハビリに適したダンスプログラムを作ってほしい」と依頼されて。毎週1回、20人ほどの患者さん向けにワークショップを行ったことが、ダレデモダンスを立ち上げたきっかけでした。私の地元の埼玉県岩槻市を中心に約2年間続けていますが、反響はすごくありますね。今年は医師、看護師、リハビリの専門の方などの学会でダレデモダンスのワークショップを行う機会が多かったのですが、皆さんすごく興味を持ってくれています。患者さん、医療関係者にダンスを教える人材を育てることも、今後の課題ですね。

――一方で、海外で活躍するダンサーも増えている印象があります。
SAM 海外で活動するためには、ダンスのスキル、人間性はもちろん、語学力も求められます。そこが最大の課題で、英語ができないことがコンプレックスとなって、なかなか海外に出ていけないダンサーも多いんですよ。もう1 つの問題は身体的なパワーと表現力が足りないこと。日本人のダンサーは振りを覚えるのは早く、正確に踊れるのですが、海外では“踊りは粗くてもいいからパワフルに”“アティチュードを強く出してほしい”と要求されることも多いので。

――平成24年度からHIP HOPダンスが中学の必修科目となりましたが、その成果についてはどう捉えていますか?
SAM ダンスが教育の場に入ったことは画期的だと思います。ただ、学校におけるダンスはあくまでも教育の一環。ダンスのスキルを上げるよりも、協調性、創造性などが重視されるので、プロのダンサーを育成することには直結しないかもしれないですね。私も現場の先生と話をすることがありますが、ただ音楽に合わせて身体を動かすだけではなく、リズムを取って踊ることの大切さを伝えていければと思っています。

――今後もダンサーの活躍の場を増やす施策は必要ですよね。
SAM そうですね。ただ、野球やサッカーにしても、プロとして活躍できるのは頂点の人たちだけ。ダンスも同じで、いくら人口が増えても、プロになれるのは一握りだと思っています。厳しい世界だということを踏まえた上で、プロを志すダンサーたちががんばれる環境を整えていきたいですね。

TRFのステージで得た経験が、演出家としての仕事に活かされている

――演出家としての活動についても聞かせてください。東方神起の再始動となる全国ドームツアーの演出も手がけていますが、今回のコンセプトは?
SAM アーティスト本人、プロダクションと話しながら決めていますが、「復帰後、最初のツアーは“ベストライブ”にしたい」という話は以前からしていたので、今回は特別に、オフィシャルで行ったアンケートによる楽曲別、MV別、ライブパフォーマンス別の人気順位データも参考にしました。ドームツアーだからこそ、メンバーの2人ができるだけ客席の近くに行って、すべてのお客さんに楽しんでもらえるようなステージ構成を考えていますね。ダンスに関しては、ユノが中心になって振り付けを決めることも多いんですよ。チャンミンもダンスに対する意識が高まっているし、演出する立場としても話がしやすいですね。

――ダンサー同士だからこそ通じ合えることも多そうですね。
SAM それはあると思います。TRFのライブを通して、“こういう動きをすれば盛り上がる”“こういう演出は良くない”ということを体験しているし、ステージでの経験値を持っていることが他の演出家の方との違いなのかなと。TRF のライブは私、ETSU、CHIHARUの3人が中心となって作っていましたからね。ツアー中は早い時間に会場に入って、照明、舞台監督、特効のスタッフと打ち合わせを重ねて、ライブが終わった後もミーティングして。そのときに経験させてもらったことが、今につながっていると思います。

――演出家として、今後やってみたいことは?
SAM ドローン、3Dホログラムを使った演出はやってみたいですし、東京五輪を迎える20年にはいろいろな使われ方をしていると思います。従来のシステムや機巧なども、動くスピードが速くなったり、揺れが少なくなることで、やれることも広がっていくんですよ。特にダンサーは4〜5メートルの高さのリフトの上で踊ることもありますからね。揺れの少なさ、(リフトの)動き出しと止まるときのスムーズさなどは、私もすごく気を遣っています。

――TRFがデビューした1993年は音楽業界の絶頂期で、その後CDをはじめとするパッケージの売り上げが落ち、アーティストの活動形態も大きく変化していますが、SAM さんはどんなふうに感じていますか?
SAM 音楽業界の変化はそこまでダイレクトに感じていないんですよね。ダンサーは自分の体と向き合い続けているし、ダンスの世界の流行りや新しいムーブメントを必死で追ってきたので。ダンスが最初に注目されたのはおそらく70 年代の『サタデーナイト・フィーバー』だったと思うのですが、その流行はすぐに終わりました。その後『フラッシュダンス』をきっかけにブレイクダンスが流行り、ボビー・ブラウンやMC ハマーが登場してニュージャックスウィングがブームになりましたが、いずれも長続きしなかった。ダンサーの仕事の量も時期によってかなり差がありましたからね。ダンサーが本当に求められるようになったのは、96 年あたり。00 年代に入るとダンス人口も一気に増えましたね。

――SAMさんは様々な状況を乗り越えながら、ダンスを普及させるために邁進してきた。その原動力は何だったんですか?
SAM 私自身のことでいえば、“自分たちがやっているダンスが一番カッコいい”と強く思っていたからでしょうね。若いときはブレイクダンス、ロッキンなどを中心としたオールドスクールのダンスをやっていましたが、それは“世の中の人がこのダンスを知れば、絶対に流行るはずだ”と確信していたからです。今後も現役のダンサーにこだわりたいと思っています。ダンスを完全に辞めてしまうとモチベーションが落ちる気がするので。

(文:森朋之/写真:草刈雅之)
[17年12月11日号 コンフィデンスより]

提供元: コンフィデンス

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