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加藤登紀子、歌手人生50年!激動の半生を振り返る
『銀のさら』のサプライズムービーが大活躍!孫や友だちに……
加藤 あの曲は「君が生まれてありがとう」っていうタイトルなんだけど、「創世記」にしようかって案もあったんですよ。それぐらい大局を歌っている曲じゃないですか。
――“地球の誕生”から始まる内容ですからね。
加藤 で、そこから突然、“君が生まれてありがとう”って歌うっていう、私も最初に聴いたときはすごい曲ができたなって驚いちゃって(笑)。でもすごくふくよかでスケール感がある曲だなと思いましたね。
――そんな楽曲に加藤さんの歌が入ることで、よりパワーアップしています。どっしりとした重厚感が出ているというか。
加藤 どうしてもそうなっちゃう。パワーを出そうって意識はないんだけど(笑)。でもこの曲自体すごくシンプルだけど、強くて新鮮じゃないですか。で、ちょっと笑っちゃう話があるんだけど、途中ですごい展開になっているところがあって。このコード進行すごいな、天才だなって思ったのね。そうしたら、それは単純なミスだったの(笑)。でもそんな斬新な展開もありだと思うぐらいシュールで冒険に満ちた曲。私もこの曲との出会いを楽しみながら歌わせてもらいましたね。
――映像も斬新。このムービーを誕生日に送られたら絶対、感動します。
加藤 私自身も孫や友だちに送りました。大活躍してますよ(笑)。
――加藤さんは現在、デビュー50周年イヤーに突入して、今回の『銀のさら』を含めたさまざまな企画を行っていますが。振り返ると“50年”はどんな年月でしたか?
加藤 まず私がデビューした60年代は日本が新しく変わり始めた時代なんですよ。新幹線も高速道路も何もかも、新しいものがたくさん生まれてきた時期。で、音楽業界は演歌の大ヒットが次から次へと出ていて、その一方で加山雄三さんの「君といつまでも」や、日本のロッカーの走りである荒木一郎さんが私と同じ年に新人賞を取ったりもして、そういう時代の変わり目というか。音楽シーンも分岐点を迎えていたんです。ビートルズが来日したのもこの頃で実は私も新人歌手のひとりとして、新聞社からコンサートの感想を書くように言われて観にいったんですよ。でも満杯だったみたいでステージの斜め後の席だったの。だから彼らの背中ばっかり見てたっていう(笑)。
――でも歴史的瞬間に立ち会っていたと。
加藤 そうですね。だから私のあとに出てきたミュージシャンはビートルズの影響を受けている人が多いんだけど、私はそのひとつ前に出てきたってところがすごく重要で。
音楽業界に未練はない……大学での最後のケジメとしてデモ隊に参加!
加藤 そう(笑)。ジョンもポールも私と年が同じくらいなんですよ。だから憧れ目線というよりは同じ世代に出てきたっていう感覚があったんですね。でも当時のメディアの中では悪戦苦闘しました。私はシャンソン歌手としてスタートしたんだけど、歌謡曲でレコード大賞新人賞をとってしまったので“歌謡界”の中にきちっと入れてもらえちゃった。そこから次から次へと仕事がきて、いやおうなしにメジャー歌手ってことになって。それで良かったと思うけど、歌手ってものがどんなものなのかわからなくなって、当時はすごく悩んでしまったんです。で、そんなときに大学(東大)を卒業することになったんだけど、ちょうど学生運動のころで。卒業式がデモ隊と学生がぶつかる日と重なりまして、私も覚悟を決めたというか。“私は私でやる”って、大学生としての最後のケジメをつけるつもりでデモ隊に入ったんです。
――歌手としてすでに有名になっているのに、すごい勇気ですよね?
加藤 歌手としての私は終わってもいいと思ってたから。でもあの頃は世の中がウエルカムだったというか、逆に“お登紀、よくやったね”ってものすごいセンセーショナルになって、みんなが歓迎してくれたんですよ。それはびっくりした(笑)。で、そこから夫になる藤本敏夫と出会ったんだけど、私が何を歌わなきゃいけないかってことがハッキリ見えてきた年なんですよね。
――藤本さんは当時の学生運動指導者ということで、2人の恋愛、結婚も当時とてもセンセーショナルでした。でもこのあと「ひとり寝の子守唄」や「知床旅情」と立て続けにヒットを飛ばして“歌手・加藤登紀子”の地位も盤石になっていきましたね。
加藤 でも「ひとり寝の子守唄」を作ったときはギリギリの状態で、音楽業界に未練はない、さよならしようって出した曲なんです。そういうものってエネルギーがあるのかもしれないですね、伝わっちゃうというか。「知床旅情」がヒットしたときも、実は私自身は人間としてどうやって生きていいかわからないって状態で、心はズタズタだったんですよ。で、藤本との結婚する決心をして、歌手はこれで終わりでいいと思っていて。
――激しいですね(笑)。
加藤 人生は長いし、どんなことやって生きてもいいじゃない?って、当時はそんな選択肢だったんです。でもこのとき最後のつもりでやった日比谷の野音のコンサートが、むちゃくちゃ楽しくて(笑)。そう考えると50年間、私は何も計算できなかったし、何のセオリーも方程式もなくきてしまったけど、そんな私をいつも一番わかっているのは、曲を聴いてくれるお客さんたちのほうだったなと。「お登紀さん、やっとわかってくれたの?」って言われてきた気がしますね。
――でも結婚を機に一度、歌手業はお休みされました。そのときはどんな気持ちでした?
加藤 子どもが生まれて子育てに入ったので、音楽がとんどん遠いて寂しかった。心から歌いたい!って思いましたね。で、復帰するんだけど、そのときは誰かのために歌うんじゃなく、私は私のために歌うって気持ちだったのですごく楽しかったですよ。ただ子育てをしながらだったので、歌手としてのエネルギーは半分くらいしか注げない。そこにもどかしさはあったけど、いま振り返ると意外にがんばってるんですよ。特に3人目が生まれたあとに出したアルバムはオリジナル曲をいっぱい書きおろして、すごくいい作品になってる。それも計算外のことなんだけど、思う存分歌えないもどかしさや舞台に立てない時間が、結果的にいい作品に繋がったっていう。ホント、不思議です(笑)。
――加藤さんは計算をしないぶん、つねに覚悟を決めて次に進んでいる気がします。それが結果いいものを生む。無欲の勝利というか(笑)。
加藤 無欲かどうかわからないけど(笑)、踏み切った結果、失うものものもあるけど得るものもあったんですよ。しかも、子育て中はふだんの3倍ぐらいエネルギーがいるので、もう化け物ものみたいになってたというか(笑)。爆発寸前の火山みたいになっていて、そこからエネルギーをもらっていた気がします。でもそのあと50歳になったとき、さらに大きな節目を迎えまして。このときは本当にどうしよう?って思いましたね。
――何でですか?
加藤 そろそろ歌えなくなることを考えたほうがいいのかなって思ったんです。それで書とか陶芸の展覧会をやったり、“次なる人生”みたいなことを考え出して、それまでの事務所も畳んだんです。もっとひっそり小さくして、自分の好きなことを好きな人と、好きなようにやりたいと思って。それがまた結果的に転機になって、振り返るとおもしろいことになったったんですよね。というのも事務所の体制が小さくなると小回りが利くでしょ? だから思いついたことを何でもやれるわけですよ。で、20世紀の終わりに私が10枚のアルバムを作るって言い出しまして。しかもロスやヨーロッパ、アフリカのミュージシャンとやるんだって言って、好きなようにレコーディングさせてもらって。思いついたことはやらないと気が済まないんですよね(笑)。
(文:若松正子/撮り下ろし写真:鈴木かずなり)
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加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2014
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12月28日(日) 東京・よみうりホール
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