今月10日に肺不全のため亡くなった歌舞伎俳優で人間国宝の中村芝翫(本名・中村栄次郎)さん(享年83)の葬儀告別式が27日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれ、長男の中村福助、次男の中村橋之助・三田寛子夫妻ら親族、関係者、ファン約1200人が参列した。映画監督の山田洋次が友人代表の弔辞を読み、福助は親族、一門を代表してのあいさつで「父は最期はみんなに見守られ、ほっとするような笑い顔で旅立っていかれました。父の遺志を継いで、ますます芸道に精進して行く所存です」と一言一言、あふれる思いを語った。
告別式は神道の金光教によって行われ、喪主は妻の中村雅子さんが務めた。祭壇はお榊をメインに1700本の白い菊、蹴込みの部分の柄は芝翫縞で飾られ、遺影は昨年3月11日の芝翫さんの誕生日に行われた取材会で撮影された。そのほか天皇陛下からの祭祀料や名誉都民章、没後追贈された旭日重光章、正四位などが置かれ、式場には画家・松尾敏男氏による『中村芝翫像』が飾られた。
そのほか義理の息子にあたる中村勘三郎・好江夫妻、孫の中村勘太郎・前田愛夫妻、中村七之助らも参列。松竹の迫本淳一社長、日本芸術院の三浦朱門院長、日本俳優協会副会長で歌舞伎俳優の坂田藤十郎、石原慎太郎東京都知事(佐藤広東京都副知事が代読)が弔辞を述べた。また、市川団十郎、市川猿之助、市川右近、市川亀治郎、市川海老蔵・小林麻央夫妻、中村獅童、北大路欣也、江川卓、藤村志保らが参列した。
山田監督弔辞
8月12日に新橋演舞場でお会いしたときは声も良くてお元気で、6月に体調優れない様子を気にしていた僕も安心して『良かった』と思っていたのに。2ヶ月でこんな悲しいことになってしまうなんて思いもかけないことでした。
出会いは1988年の『ダウンタウン・ヒーローズ』に特別出演してもらったこと。橋之助くんが年老いてエピローグの場面での出演ということで、断りようもなく仕方なく引き受けてくれたのではと思います。思えば、あれが芝翫さんの後にも先にもただ一度だけの映画出演でした。
そのことをあの日の思い出とともに僕は一生の誇りにしています。あの日からの長いお付き合いのなかで、たくさんのことをあなたから教えていただきました。そして、お世話になりました。芝翫さん、ありがとうございました」。
告別式は神道の金光教によって行われ、喪主は妻の中村雅子さんが務めた。祭壇はお榊をメインに1700本の白い菊、蹴込みの部分の柄は芝翫縞で飾られ、遺影は昨年3月11日の芝翫さんの誕生日に行われた取材会で撮影された。そのほか天皇陛下からの祭祀料や名誉都民章、没後追贈された旭日重光章、正四位などが置かれ、式場には画家・松尾敏男氏による『中村芝翫像』が飾られた。
そのほか義理の息子にあたる中村勘三郎・好江夫妻、孫の中村勘太郎・前田愛夫妻、中村七之助らも参列。松竹の迫本淳一社長、日本芸術院の三浦朱門院長、日本俳優協会副会長で歌舞伎俳優の坂田藤十郎、石原慎太郎東京都知事(佐藤広東京都副知事が代読)が弔辞を述べた。また、市川団十郎、市川猿之助、市川右近、市川亀治郎、市川海老蔵・小林麻央夫妻、中村獅童、北大路欣也、江川卓、藤村志保らが参列した。
山田監督弔辞
8月12日に新橋演舞場でお会いしたときは声も良くてお元気で、6月に体調優れない様子を気にしていた僕も安心して『良かった』と思っていたのに。2ヶ月でこんな悲しいことになってしまうなんて思いもかけないことでした。
出会いは1988年の『ダウンタウン・ヒーローズ』に特別出演してもらったこと。橋之助くんが年老いてエピローグの場面での出演ということで、断りようもなく仕方なく引き受けてくれたのではと思います。思えば、あれが芝翫さんの後にも先にもただ一度だけの映画出演でした。
そのことをあの日の思い出とともに僕は一生の誇りにしています。あの日からの長いお付き合いのなかで、たくさんのことをあなたから教えていただきました。そして、お世話になりました。芝翫さん、ありがとうございました」。

2011/10/27