今月7日に肺がんで亡くなった歌手で俳優のジョー山中さん(享年64)の前夜式が11日、東京・品川のキリスト品川教会にて営まれた。参列した兄貴分のロック歌手・内田裕也(71)は「正直、亡くなった実感がない。64歳の若さが悔しい。せめて69、ロックまで生きてほしかった」と無念さをにじませ「長い間、お疲れ様でした。決して忘れません。ロックンロール!」と天国の山中さんに向けて語った。
棺の中の山中さんとの対面を済ませ、内田は「真っ白なスーツ着て、髪もドレッドヘアにしてて、今から天国のステージに立つんだって顔してた。ボブ・マーリーが乗り移ってたようだった」と最期の姿に賛辞を送った。また、翌日の葬儀・告別式では弔辞を述べる予定で「心から思っていることを言おうと思う」と力を込めた。
1968年に内田のプロデュースで、山中さんがフラワー・トラヴェリン・バンドを結成するなど、45年ほどの付き合いだった2人。山中さんの「声と雰囲気」が魅力的だったと振り返った内田は「彼は、ボランティアで22カ国ほどを回ってきた。最近、多くの人が被災地に行ったり、ボランティアしてるけど、22ヶ国いった奴はジョー山中しか知らない。彼には、ボブ・マーリー賞をあげたいよ」と、音楽活動だけに留まらない山中さんの功績を称えていた。
遺影は、2008年10月2日に行ったフラワー・トラヴェリン・バンドのライブ時に撮影されたもので、生前本人が気に入っていた写真を使用。約2500本のバラの花が飾られた祭壇は、故人の“最後のステージ”をイメージしたもの。棺の中のジョー山中さんは、ラスタ調のロングスカーフを腰に巻き、鳥の羽のネックレスとオフホワイトのマントをまとっているという。同衣装は、デヴィッド・ボウイらのスタイリストを手掛けた高橋靖子氏が「大空を舞ってほしい」という願いを込めて担当した。また、「フラワー・トラヴェリン・バンド」、「人間の証明のテーマ」、1978年の「武道館ライブ」のゴールド・ディスクも飾られた。
式ではミッキー吉野、斉藤ノヴ、丹波博幸、斉藤昇がアコースティックライブを行い、ボブ・マーリーの「ノー・ウーマン・ノー・クライ」とジョー山中さんの「人間の証明のテーマ」の2曲が演奏された。
参列者には、ジョー山中さんの遺作となったアルバム『レゲエ・バイブレーション-4-Going Back To Jamaica』の表題曲のMVが収録されたDVDと、2000年発売のシングル「A Man Beyond The Sky」の歌詞「空の彼方から愛を……one love」などが記されたカードが配布された。
棺の中の山中さんとの対面を済ませ、内田は「真っ白なスーツ着て、髪もドレッドヘアにしてて、今から天国のステージに立つんだって顔してた。ボブ・マーリーが乗り移ってたようだった」と最期の姿に賛辞を送った。また、翌日の葬儀・告別式では弔辞を述べる予定で「心から思っていることを言おうと思う」と力を込めた。
1968年に内田のプロデュースで、山中さんがフラワー・トラヴェリン・バンドを結成するなど、45年ほどの付き合いだった2人。山中さんの「声と雰囲気」が魅力的だったと振り返った内田は「彼は、ボランティアで22カ国ほどを回ってきた。最近、多くの人が被災地に行ったり、ボランティアしてるけど、22ヶ国いった奴はジョー山中しか知らない。彼には、ボブ・マーリー賞をあげたいよ」と、音楽活動だけに留まらない山中さんの功績を称えていた。
遺影は、2008年10月2日に行ったフラワー・トラヴェリン・バンドのライブ時に撮影されたもので、生前本人が気に入っていた写真を使用。約2500本のバラの花が飾られた祭壇は、故人の“最後のステージ”をイメージしたもの。棺の中のジョー山中さんは、ラスタ調のロングスカーフを腰に巻き、鳥の羽のネックレスとオフホワイトのマントをまとっているという。同衣装は、デヴィッド・ボウイらのスタイリストを手掛けた高橋靖子氏が「大空を舞ってほしい」という願いを込めて担当した。また、「フラワー・トラヴェリン・バンド」、「人間の証明のテーマ」、1978年の「武道館ライブ」のゴールド・ディスクも飾られた。
式ではミッキー吉野、斉藤ノヴ、丹波博幸、斉藤昇がアコースティックライブを行い、ボブ・マーリーの「ノー・ウーマン・ノー・クライ」とジョー山中さんの「人間の証明のテーマ」の2曲が演奏された。
参列者には、ジョー山中さんの遺作となったアルバム『レゲエ・バイブレーション-4-Going Back To Jamaica』の表題曲のMVが収録されたDVDと、2000年発売のシングル「A Man Beyond The Sky」の歌詞「空の彼方から愛を……one love」などが記されたカードが配布された。

2011/08/11