どん底の騎手人生を歩んできたジョッキー、大下智の復帰に向けた“戦い”に密着し、これまで見ることができなかった、“騎手の世界”の真実に迫るドキュメンタリー番組『もう1度、騎手になりたい。ガンと闘ったどん底ジョッキー』が、カンテレで23日(深1:50〜2:35※関西ローカル)に放送される。ナレーションは俳優の濱田岳が務める。
大下智、32歳。騎手生活11年間でわずか17勝。競馬ファンでも、彼の存在を知る者は少ない。デビュー1年目こそ8勝を挙げたが、その後は鳴かず飛ばずで、1勝も挙げられない年もあり、まさに“どん底の騎手人生”を歩んできた。ここ数年は、レースを間近に控えた競走馬がトレーニングする施設で調教を手伝って生計を立てながら、競馬が行われる土日を家で過ごすという生活を続けている。競馬界では、馬主や調教師が騎手を指名する権利を持つことが多く、成績の良い騎手には騎乗依頼が殺到するが、勝利数の少ない騎手はどんどん騎乗機会が少なくなっていくという現実がある。大下は「今ジョッキー界で120等兵ぐらいちゃう?」と苦笑しながら、ジョッキーとしての立場を自ら評価する。
“騎手でありながら騎手ではない”そんな生活が続き、「このまま騎手の道をあきらめるべきなのか」と、自問自答を繰り返していた中、昨年10月、“甲状腺がん ステージ4”という衝撃的な事実が医師から伝えられる。視力と声を失う可能性があると知らされながらも、手術を受け、入院生活は2ヶ月に及んだ。
手術は成功し、首や目に違和感は残ったものの、再び騎乗できる可能性が残された。そんな中、日に日に強くなっていったのは、「もう1度、騎手になりたい」という思いだった。その思いの根源は、家族や、浜中俊(騎手)、藤岡康太(騎手)をはじめとする競馬学校の同期たち、そして武豊(騎手)、幸英明(騎手)という尊敬する先輩ジョッキーら周囲の人々。「こんな自分でも支えてくれる人がいる」ということが、大下を復帰へ突き動かした。
しかしそれ以上に、がんを患い競馬から離れたことで大下は「馬に乗りたい。騎手でありたい」という、初めて競馬を見た8歳の頃から抱き続けてきた“純粋な憧れ”を再認識する。「周りにどう思われようが、そんなことはとっくにわかってて。辞める辞めへんは周りにとやかく言われることじゃないと思うんです。もう僕の意地だけじゃないですか?」と吐露した。
今年4月、大下の“戦い”が始まった。がんが発覚してから5ヶ月の間に落ちた体力を取り戻すため、過酷なウェイトトレーニング・減量などをこなす。それと同時に、騎手としての自身の実力を調教師にアピールし、騎乗する競走馬を探すという、いわゆる“営業”を自ら行うも、一向に騎乗依頼は来ない。そんな状態が続いた5月半ば、大下が働く厩舎の池添学調教師が、ある馬主に掛け合ってくれたことで、レースに出られることに。
そして5月27日、東京で競馬の祭典・日本ダービーが行われたこの日、小さい頃から毎週のように通っていた一番好きな思い入れのある京都競馬場で、大下は執念のレースに臨んだ。結果的に騎手として最後となったこのレースで、大下が見た景色、そして大下が改めて感じた騎手という職業の魅力とは?
柴田俊介ディレクター(カンテレ)は「一度はすべてを諦めた大下騎手が、再びレースに出られる可能性があると知り、『もう一度乗りたい!』と思うに至るまでの心情の変化、そして“騎手としての意地”をご覧ください。華々しいイメージの裏面にある競馬界の厳しさ、普段テレビで見ることのできない現実が伝わるとうれしいです」と、コメントを寄せている。
大下智、32歳。騎手生活11年間でわずか17勝。競馬ファンでも、彼の存在を知る者は少ない。デビュー1年目こそ8勝を挙げたが、その後は鳴かず飛ばずで、1勝も挙げられない年もあり、まさに“どん底の騎手人生”を歩んできた。ここ数年は、レースを間近に控えた競走馬がトレーニングする施設で調教を手伝って生計を立てながら、競馬が行われる土日を家で過ごすという生活を続けている。競馬界では、馬主や調教師が騎手を指名する権利を持つことが多く、成績の良い騎手には騎乗依頼が殺到するが、勝利数の少ない騎手はどんどん騎乗機会が少なくなっていくという現実がある。大下は「今ジョッキー界で120等兵ぐらいちゃう?」と苦笑しながら、ジョッキーとしての立場を自ら評価する。
“騎手でありながら騎手ではない”そんな生活が続き、「このまま騎手の道をあきらめるべきなのか」と、自問自答を繰り返していた中、昨年10月、“甲状腺がん ステージ4”という衝撃的な事実が医師から伝えられる。視力と声を失う可能性があると知らされながらも、手術を受け、入院生活は2ヶ月に及んだ。
手術は成功し、首や目に違和感は残ったものの、再び騎乗できる可能性が残された。そんな中、日に日に強くなっていったのは、「もう1度、騎手になりたい」という思いだった。その思いの根源は、家族や、浜中俊(騎手)、藤岡康太(騎手)をはじめとする競馬学校の同期たち、そして武豊(騎手)、幸英明(騎手)という尊敬する先輩ジョッキーら周囲の人々。「こんな自分でも支えてくれる人がいる」ということが、大下を復帰へ突き動かした。
しかしそれ以上に、がんを患い競馬から離れたことで大下は「馬に乗りたい。騎手でありたい」という、初めて競馬を見た8歳の頃から抱き続けてきた“純粋な憧れ”を再認識する。「周りにどう思われようが、そんなことはとっくにわかってて。辞める辞めへんは周りにとやかく言われることじゃないと思うんです。もう僕の意地だけじゃないですか?」と吐露した。
今年4月、大下の“戦い”が始まった。がんが発覚してから5ヶ月の間に落ちた体力を取り戻すため、過酷なウェイトトレーニング・減量などをこなす。それと同時に、騎手としての自身の実力を調教師にアピールし、騎乗する競走馬を探すという、いわゆる“営業”を自ら行うも、一向に騎乗依頼は来ない。そんな状態が続いた5月半ば、大下が働く厩舎の池添学調教師が、ある馬主に掛け合ってくれたことで、レースに出られることに。
そして5月27日、東京で競馬の祭典・日本ダービーが行われたこの日、小さい頃から毎週のように通っていた一番好きな思い入れのある京都競馬場で、大下は執念のレースに臨んだ。結果的に騎手として最後となったこのレースで、大下が見た景色、そして大下が改めて感じた騎手という職業の魅力とは?
柴田俊介ディレクター(カンテレ)は「一度はすべてを諦めた大下騎手が、再びレースに出られる可能性があると知り、『もう一度乗りたい!』と思うに至るまでの心情の変化、そして“騎手としての意地”をご覧ください。華々しいイメージの裏面にある競馬界の厳しさ、普段テレビで見ることのできない現実が伝わるとうれしいです」と、コメントを寄せている。
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2018/06/23