デビューから20年以上が経つ現在も、歩みを止めずに進化してきたバンド・GLAY。4月にはJIROがライブを欠席したが、ファン思いの彼らがとった“神対応”は、広く話題となり、称えられた。長い年月で生まれたバンドとファンの関係性、GLAYの現在と未来について、TERUとJIROが語った。
◆「一生に一度あるかないかのこと」JIROのライブ欠席を振り返る
――JIROさんは、4月に体調不良でライブを欠席されて、その時のGLAYの“神対応”が話題になっていました。JIROさんの等身大パネルをステージに設置して、ライブは決行したのに、観客全員を振替公演にも招待するという。
【TERU】カミはカミでも“紙対応”ですね(笑)。あれは、TAKUROの発案です。実は、前日にJIROが出演できないとわかった時、メンバーとスタッフの話し合いの中では、半分はトークにしようということになってたんです。でも当日リハーサルをやってみたら、「全部できるんじゃないか」と。JIROがいない穴を、TAKUROとHISASHIが1曲ずつベースを弾いて対応したりして、自分たちも楽しんでやれました。一生に一度あるかないかのことですから、やれることは全部やっちゃおうと。
――JIROさんは、無事復帰を果たされていかがですか?
【JIRO】偶然なのかわかんないですけど、“今、自分たちが置かれている状況って当たり前じゃないよな”と漠然と思っていた矢先に、ああいうアクシデントが起こったので…。あれ以来、ライブ前のアップのやり方が変わりました。最近は30分前に入って、さっと準備したらすぐリハーサル。休める時は休んで、本気出す時は本気出す。実年齢にあった最高のパフォーマンスをする環境作りは、やっぱり体と対話しながら進めなきゃいけないんですよ! 今までみたいに、ライブが終わったら深酒…では体がもたない。追加公演のファイナルでも、「僕からのお詫びです」とスタッフ全員集めて大打上げで飲んで、翌日the pillowsのライブに遊びに行った後にも飲んで。そしたら次の日40度の熱が出ました。5年、10年前だったら二日酔いで済んでいたのが、「そうか、40を超えると熱を出すんだ」と(笑)。
◆90年代後半、「お客さんを信じてたのか?」と考えると疑問
――同時に、年齢を重ねて良かったと思うことも多々あるんですよね。
【JIRO】そうですね。例えば90年代の後半、雑誌の表紙やテレビにいっぱい出て、大箱の会場でもバンバンお客さんが入っていた時代は、自分たちが「本当にお客さんのことを信じてたのか?」と考えると、そこはちょっと疑問なんです。たとえば静かに聴いてほしい曲があったとして、昔はそこでキャーキャー騒がれたらイラッとしてた。でも今だったら、ちゃんと「ごめん、この曲は静かに聴いてほしい」って言うよね。長年GLAYをやってきて、お客さんとバンドの関係性ができてきてるなと思います。
【TERU】デビューして2、3年目の曲である「グロリアス」を今演奏しても全然色あせないのは、GLAYがずっと活動を止めなかったことが大きいと思うんです。僕らも音楽もずっと回り続けているから、常にGLAYというグループと音楽の中に、新陳代謝が起こっているような気がします。
――そんなGLAYの2年半ぶりのアルバム『SUMMERDELICS』は、ロックバンドとしてキャリアを重ねた成熟度がよく出ていると思います。収録曲はすんなり?
【TERU】その辺は、プロデューサーの亀田誠治さん主導で進めてもらっています。でも今回は、わりと最終的に決まるまで時間がかかったかもしれない。
【JIRO】TAKUROの「聖者のいない町」は、亀田さんが「何かもう一つ足りない」ということで、最後に加えた曲です。TAKUROの強いこだわりは、「シン・ゾンビ」を1曲目にすることで。それによって、20年以上もバンドを続けながら、まだこういうサイケデリック感を出すことができるんだぜ、ってこと示したかったんだと思います。でも作ったHISASHIが、「や、やめた方がいいよ! 絶対ヘンだから」って拒否して、TAKUROが頑として「譲れない!」って言ってた。そんな会話を聞きながら、しみじみ「GLAYっておかしなバンドだなぁ」と思いました(笑)。
◆解散の危機はあったが、それは周りの環境に違和感を持っていただけ
――お二人はGLAYのこれからをどうイメージしていますか?
【TERU】俺は “周年お祭り男”なので、23周年でも祝いたいぐらい(笑)。そうやっていくつかのお祭りを経て思うのは、「有言実行であり続けたい」ってことなんです。永遠はないにせよ、10年後も20年後もやっていこうよと言葉を発したら、僕はそこに目標を持っていく。去年、ファンクラブ記念ライブのMCで「30周年に、ヴェネツィアでライブをやらせてくれ!」と言ったからには、そこに向かっていきたいですね。
【JIRO】グループの中では、TERUが一番夢を語って、TAKUROが具体的なビジョンを明確にする役割なんですよ。僕とHISASHIは、夢はあまり掲げない。僕は、先々のことはあまり考えていないです。ファンの人たちも、熱心に全国追いかけてくれる人もいれば、自分なりのペースで楽しんでくれる人もいます。ただ、お互いに新鮮味がなくなることほどつまらないことはない。俺たちまだまだやるので、熱狂的なファンの人たちも、無理しない程度に付き合っていてほしいし、ヴェネツィアにまで付き合ってもらうためには、みんなも体とも相談して…とファンの皆さんにはアドバイスしたいです(笑)。
――今までに喧嘩したことは一度もないんですか?
【JIRO】ないですね。
【TERU】何回か、解散の危機はありましたよ。でもそれは、周りの環境に違和感を持っていただけだった。「4人はずっと仲がいいのに、どうして解散しなきゃならないんだ」と考えた時、違和感を覚えた環境から離れて、自分たちだけでやればいいという結論に達して、今がある。
――メンバーの誰かを羨ましく思ったりすることもないんですね。
【JIRO】みんな自分のことが好きなんですよ。TERUは特に(笑)。
【TERU】個性はバラバラだけど、4人のバランスは取れているんです。打ち上げでも、大勢スタッフがいるのに、知らないうちに4人で固まって話していたりしますから(笑)。
(文:菊地陽子)
◆「一生に一度あるかないかのこと」JIROのライブ欠席を振り返る
――JIROさんは、4月に体調不良でライブを欠席されて、その時のGLAYの“神対応”が話題になっていました。JIROさんの等身大パネルをステージに設置して、ライブは決行したのに、観客全員を振替公演にも招待するという。
【TERU】カミはカミでも“紙対応”ですね(笑)。あれは、TAKUROの発案です。実は、前日にJIROが出演できないとわかった時、メンバーとスタッフの話し合いの中では、半分はトークにしようということになってたんです。でも当日リハーサルをやってみたら、「全部できるんじゃないか」と。JIROがいない穴を、TAKUROとHISASHIが1曲ずつベースを弾いて対応したりして、自分たちも楽しんでやれました。一生に一度あるかないかのことですから、やれることは全部やっちゃおうと。
――JIROさんは、無事復帰を果たされていかがですか?
【JIRO】偶然なのかわかんないですけど、“今、自分たちが置かれている状況って当たり前じゃないよな”と漠然と思っていた矢先に、ああいうアクシデントが起こったので…。あれ以来、ライブ前のアップのやり方が変わりました。最近は30分前に入って、さっと準備したらすぐリハーサル。休める時は休んで、本気出す時は本気出す。実年齢にあった最高のパフォーマンスをする環境作りは、やっぱり体と対話しながら進めなきゃいけないんですよ! 今までみたいに、ライブが終わったら深酒…では体がもたない。追加公演のファイナルでも、「僕からのお詫びです」とスタッフ全員集めて大打上げで飲んで、翌日the pillowsのライブに遊びに行った後にも飲んで。そしたら次の日40度の熱が出ました。5年、10年前だったら二日酔いで済んでいたのが、「そうか、40を超えると熱を出すんだ」と(笑)。
◆90年代後半、「お客さんを信じてたのか?」と考えると疑問
――同時に、年齢を重ねて良かったと思うことも多々あるんですよね。
【JIRO】そうですね。例えば90年代の後半、雑誌の表紙やテレビにいっぱい出て、大箱の会場でもバンバンお客さんが入っていた時代は、自分たちが「本当にお客さんのことを信じてたのか?」と考えると、そこはちょっと疑問なんです。たとえば静かに聴いてほしい曲があったとして、昔はそこでキャーキャー騒がれたらイラッとしてた。でも今だったら、ちゃんと「ごめん、この曲は静かに聴いてほしい」って言うよね。長年GLAYをやってきて、お客さんとバンドの関係性ができてきてるなと思います。
【TERU】デビューして2、3年目の曲である「グロリアス」を今演奏しても全然色あせないのは、GLAYがずっと活動を止めなかったことが大きいと思うんです。僕らも音楽もずっと回り続けているから、常にGLAYというグループと音楽の中に、新陳代謝が起こっているような気がします。
――そんなGLAYの2年半ぶりのアルバム『SUMMERDELICS』は、ロックバンドとしてキャリアを重ねた成熟度がよく出ていると思います。収録曲はすんなり?
【TERU】その辺は、プロデューサーの亀田誠治さん主導で進めてもらっています。でも今回は、わりと最終的に決まるまで時間がかかったかもしれない。
【JIRO】TAKUROの「聖者のいない町」は、亀田さんが「何かもう一つ足りない」ということで、最後に加えた曲です。TAKUROの強いこだわりは、「シン・ゾンビ」を1曲目にすることで。それによって、20年以上もバンドを続けながら、まだこういうサイケデリック感を出すことができるんだぜ、ってこと示したかったんだと思います。でも作ったHISASHIが、「や、やめた方がいいよ! 絶対ヘンだから」って拒否して、TAKUROが頑として「譲れない!」って言ってた。そんな会話を聞きながら、しみじみ「GLAYっておかしなバンドだなぁ」と思いました(笑)。
◆解散の危機はあったが、それは周りの環境に違和感を持っていただけ
――お二人はGLAYのこれからをどうイメージしていますか?
【TERU】俺は “周年お祭り男”なので、23周年でも祝いたいぐらい(笑)。そうやっていくつかのお祭りを経て思うのは、「有言実行であり続けたい」ってことなんです。永遠はないにせよ、10年後も20年後もやっていこうよと言葉を発したら、僕はそこに目標を持っていく。去年、ファンクラブ記念ライブのMCで「30周年に、ヴェネツィアでライブをやらせてくれ!」と言ったからには、そこに向かっていきたいですね。
【JIRO】グループの中では、TERUが一番夢を語って、TAKUROが具体的なビジョンを明確にする役割なんですよ。僕とHISASHIは、夢はあまり掲げない。僕は、先々のことはあまり考えていないです。ファンの人たちも、熱心に全国追いかけてくれる人もいれば、自分なりのペースで楽しんでくれる人もいます。ただ、お互いに新鮮味がなくなることほどつまらないことはない。俺たちまだまだやるので、熱狂的なファンの人たちも、無理しない程度に付き合っていてほしいし、ヴェネツィアにまで付き合ってもらうためには、みんなも体とも相談して…とファンの皆さんにはアドバイスしたいです(笑)。
――今までに喧嘩したことは一度もないんですか?
【JIRO】ないですね。
【TERU】何回か、解散の危機はありましたよ。でもそれは、周りの環境に違和感を持っていただけだった。「4人はずっと仲がいいのに、どうして解散しなきゃならないんだ」と考えた時、違和感を覚えた環境から離れて、自分たちだけでやればいいという結論に達して、今がある。
――メンバーの誰かを羨ましく思ったりすることもないんですね。
【JIRO】みんな自分のことが好きなんですよ。TERUは特に(笑)。
【TERU】個性はバラバラだけど、4人のバランスは取れているんです。打ち上げでも、大勢スタッフがいるのに、知らないうちに4人で固まって話していたりしますから(笑)。
(文:菊地陽子)
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2017/07/16