『海街diary』で第39回日本アカデミー賞最優秀作品賞・最優秀監督賞など4部門を受賞した是枝裕和監督の最新作『海よりもまだ深く』が5月21日に公開される。
是枝監督は、映画監督としてヒット作を次々と送り出す一方で、近年では放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会委員長代行としても積極的な意見発信を行っている。長くテレビ番組や映画制作に携わる是枝監督が考える、今あるべき表現者像に迫った。
■阿部さんは人生の折々に仕事をしたい相手
――『海よりもまだ深く』は母子の絆を描いた素敵な作品でした。制作の経緯についてお聞かせください。
是枝 アイデアが生まれたのは、01年のことです。父親が亡くなり、母親が団地で1 人暮らしを始めたので里帰りしました。そのときに、団地の雰囲気が随分と変わっていて、ここを撮っておきたいと思ったのが最初です。団地にいる母親の話を作りたいと思いました。
――その思いは、ストーリーとしてどのように組み立てられましたか。
是枝 ノートに断片的なことを書き連ね、いっぱいになると、脚本を書く段階になります。ノートの最初に書いたのが、私が夜中に仏壇の線香立てを、カップ麺の割り箸と爪楊枝で掃除をしたことです。箸で掃除するうちに、父のお骨を拾う記憶が蘇ってきました。これを台風の晩のシーンに織り込もう、というふうにエピソードをまとめていきました。脚本を書いたのは13年です。
――脚本を書くときに、お母さん役に樹木希林さん、息子役に阿部寛さんを想定していたと聞きました。
是枝 母親が亡くなった後、08年に監督した『歩いても 歩いても』で、ふたりには母子を演じてもらいました。当時、阿部さんも私も40歳代で、50歳代になった現在までに互いに結婚して、子供ができました。この時期に、またふたりで作品を作りたいと考えました。阿部さんは人生の折々に仕事をしたい相手です。
――樹木さんはどうなのですか。
是枝 樹木さんも『歩いても〜』のときは60歳代で、今は70歳代になられた姿をぜひ描きたかった。そもそも樹木さんが承諾されなかったら、この作品はできなかったと思います。
■“なりたかった自分になれなかった”後悔がこの作品を生んだ。
――それにしても登場人物のセリフの自然さには目を見張ります。
是枝 阿部さん、樹木さんを当て書きして、脚本を構築しました。頭の中に2人が日常で話す言葉を浮かべながら書きました。
――主人公を作家の夢を捨てきれない男に設定されましたが。
是枝 男が50歳代になると、そろそろ人生のゴールが見えて、夢を見ていられなくなります。“なりたかった自分になれていない”のは明らかなのに、それでも達観できない。こんなキャラクターを阿部さんに演じてもらいたかったのです。
――“みんながなりたかった大人になれるわけじゃない”という台本の冒頭に書かれた言葉は監督自身の本音ですか。
是枝 本音です。私も含めた現在の多くの人間、モノ、コトが“なりたかったものになれていない”今を生きているのではないか。映画に登場する人・モノもすべて、母子から団地まで、当初の理想からかけ離れています。
――監督という職業はなりたい自分ではなかったのですか。
是枝 大学の頃は映画監督になりたいとは思いましたが、目標としたテオ・アンゲロプロスのような壮大な映画監督になれてはいません。それはともかく、私は母には孫を抱かせてあげられなかったし、父とは喧嘩したままで逝かれました。子供とは遊ぶ時間はないし、息子としても父としても後悔ばかりです。父になってから、初めて親の気持ちが少し理解できるようになりました。その意味でも、『海よりもまだ深く』は、自分にもっとも近い映画なのです。
――この作品は『海街diary』の撮影の合間に撮り上げたのですね。2本の作品を同時に手がけて、影響し合うことはありませんでしたか。
是枝 『海街diary』には原作があり、原作世界へディープに潜っていくアプローチをしましたし、この作品は自分の真ん中から出てきた題材なので距離感が違います。違うベクトルの2つの作品を手がけたことで、気持ちのバランスが取れた感じです。
――本作でも感じましたが、確実に“是枝作品”というブランドができてきている気もします。
是枝 でも、ヒットメーカーだとは思っていませんし、自分のキャパシティを認識しながら、作品の規模を調整しています。とはいえ、通らない企画はまだまだあります。例えば政治的な題材は難しい。映像化するためにどうすればいいのか、常に考えています。
――次回作も同じ座組みですか。
是枝 現在、企画を開発中です。今度はかなり社会派的な作品になりそうですので、しばらくはリサーチに時間がかかりますね。
文/稲田隆紀
(コンフィデンス 16年4月18日号掲載)
是枝監督は、映画監督としてヒット作を次々と送り出す一方で、近年では放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会委員長代行としても積極的な意見発信を行っている。長くテレビ番組や映画制作に携わる是枝監督が考える、今あるべき表現者像に迫った。
■阿部さんは人生の折々に仕事をしたい相手
――『海よりもまだ深く』は母子の絆を描いた素敵な作品でした。制作の経緯についてお聞かせください。
是枝 アイデアが生まれたのは、01年のことです。父親が亡くなり、母親が団地で1 人暮らしを始めたので里帰りしました。そのときに、団地の雰囲気が随分と変わっていて、ここを撮っておきたいと思ったのが最初です。団地にいる母親の話を作りたいと思いました。
――その思いは、ストーリーとしてどのように組み立てられましたか。
是枝 ノートに断片的なことを書き連ね、いっぱいになると、脚本を書く段階になります。ノートの最初に書いたのが、私が夜中に仏壇の線香立てを、カップ麺の割り箸と爪楊枝で掃除をしたことです。箸で掃除するうちに、父のお骨を拾う記憶が蘇ってきました。これを台風の晩のシーンに織り込もう、というふうにエピソードをまとめていきました。脚本を書いたのは13年です。
――脚本を書くときに、お母さん役に樹木希林さん、息子役に阿部寛さんを想定していたと聞きました。
是枝 母親が亡くなった後、08年に監督した『歩いても 歩いても』で、ふたりには母子を演じてもらいました。当時、阿部さんも私も40歳代で、50歳代になった現在までに互いに結婚して、子供ができました。この時期に、またふたりで作品を作りたいと考えました。阿部さんは人生の折々に仕事をしたい相手です。
――樹木さんはどうなのですか。
是枝 樹木さんも『歩いても〜』のときは60歳代で、今は70歳代になられた姿をぜひ描きたかった。そもそも樹木さんが承諾されなかったら、この作品はできなかったと思います。
■“なりたかった自分になれなかった”後悔がこの作品を生んだ。
――それにしても登場人物のセリフの自然さには目を見張ります。
是枝 阿部さん、樹木さんを当て書きして、脚本を構築しました。頭の中に2人が日常で話す言葉を浮かべながら書きました。
――主人公を作家の夢を捨てきれない男に設定されましたが。
是枝 男が50歳代になると、そろそろ人生のゴールが見えて、夢を見ていられなくなります。“なりたかった自分になれていない”のは明らかなのに、それでも達観できない。こんなキャラクターを阿部さんに演じてもらいたかったのです。
――“みんながなりたかった大人になれるわけじゃない”という台本の冒頭に書かれた言葉は監督自身の本音ですか。
是枝 本音です。私も含めた現在の多くの人間、モノ、コトが“なりたかったものになれていない”今を生きているのではないか。映画に登場する人・モノもすべて、母子から団地まで、当初の理想からかけ離れています。
――監督という職業はなりたい自分ではなかったのですか。
是枝 大学の頃は映画監督になりたいとは思いましたが、目標としたテオ・アンゲロプロスのような壮大な映画監督になれてはいません。それはともかく、私は母には孫を抱かせてあげられなかったし、父とは喧嘩したままで逝かれました。子供とは遊ぶ時間はないし、息子としても父としても後悔ばかりです。父になってから、初めて親の気持ちが少し理解できるようになりました。その意味でも、『海よりもまだ深く』は、自分にもっとも近い映画なのです。
――この作品は『海街diary』の撮影の合間に撮り上げたのですね。2本の作品を同時に手がけて、影響し合うことはありませんでしたか。
是枝 『海街diary』には原作があり、原作世界へディープに潜っていくアプローチをしましたし、この作品は自分の真ん中から出てきた題材なので距離感が違います。違うベクトルの2つの作品を手がけたことで、気持ちのバランスが取れた感じです。
――本作でも感じましたが、確実に“是枝作品”というブランドができてきている気もします。
是枝 でも、ヒットメーカーだとは思っていませんし、自分のキャパシティを認識しながら、作品の規模を調整しています。とはいえ、通らない企画はまだまだあります。例えば政治的な題材は難しい。映像化するためにどうすればいいのか、常に考えています。
――次回作も同じ座組みですか。
是枝 現在、企画を開発中です。今度はかなり社会派的な作品になりそうですので、しばらくはリサーチに時間がかかりますね。
文/稲田隆紀
(コンフィデンス 16年4月18日号掲載)
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2016/05/07