紀里谷和明監督第3作目となる、ハリウッドで製作した大作映画『ラスト・ナイツ』。同作を機に、孤高のクリエーターというイメージからは想像もできないバラエティ番組出演などもこなし、自らエネルギッシュに宣伝活動に勤しんでいる。そんな紀里谷監督に話を聞くと、意外な本音を漏らした。全世界30ヶ国での公開が決定するなか、母国・日本での配給がなかなか決まらなかった“完璧主義者”の胸中とは?
◆ハリウッドへの憧れや映画へのロマンチシズムはない
――5年の歳月をかけて、ハリウッドで製作された新作映画『ラスト・ナイツ』。今回は、監督のほかに、プロデューサーも兼任されていますね?
【紀里谷】 そこまでやらないと。待っていてもなにも始まらないんですよ。写真家から(キャリアが)始まったときから、ずっと言っていることですが、誰も欲しいものを差し出してはくれません。これは断言します。とくに若い子たちに言いたいんですけど、欲しいものは、自分から取りに行かないとダメ。待っていては、いつまで経ってもなにもできません。
――3DCGスクール「Alchemy」の学長も務めていますが、日本の若者たちに対して、じれったさのようなものを感じているのですか?
【紀里谷】 よく若い俳優さんに「どうやったら、もっと俳優としていい映画に出られますか?」と聞かれるんですけど、「自分で映画を撮ってみたら?」って言うんですよ。「自分で映画を作って、主演で出れば、君は主演俳優になれるじゃないか」って。そのために脚本が必要なら、まずは脚本を書きなさいと。半端な気持ちでオーディションにいくつも行くくらいなら、まず脚本を書きましょうよ、というのが僕のやり方。僕は常にそうやってきました。お金がなければ集めに行くし、撮影監督がいなければ、自分で撮る。もしも俳優がいなければ出ますよ、自分で(笑)。今回も、資金集めに関わらなければこの映画が作れなかったから、プロデューサーもやりましたけど、本当なら監督だけやりたいですね。それでも今回は、ほかのプロデューサーもいましたから、今までより演出に専念できたと思います。
――初監督作『CASSHERN』(2004年)から、最新技術を貪欲に取り入れ、世界標準の映像を作り上げてこられましたが、ハリウッドの映画制作環境は、日本とは違いましたか?
【紀里谷】 現場でやることは日本もハリウッドも同じです。野球だって、サッカーだって、やってることは一緒でしょ? オーディエンスのリアクションが違うとか、どんなクルマに乗って現場に行くか、それくらいの違いでしかない。アメリカにはCMやPVの撮影でよく行っていたから、戸惑うことも言語の問題もなかったし。だからハリウッドデビューという意識も僕のなかにはなくて。単純に、僕のやりたいことには予算が必要で、これだけのスケールの映画を撮れる場所が、たまたまハリウッドだったってこと。可能にしてくれるなら、中国でも、ロシアでも、アフリカでもどこでもよかったんです。とてもシンプルな話なんですよ(笑)。僕には、ハリウッドへの憧れや、映画へのロマンチシズムはありません。唯一あるのは、自分が作りたいものを撮りたい、ただそれだけ。あとは“それを可能にするためには?”を考えて、非常にロジカルな選択肢で遂行していくってことです。
◆形に捕らわれることが窮屈でしょうがない
――「作りたいもの」というのは、初監督映画から一貫して、何度も観直せる映像作品ですか?
【紀里谷】 映画に限らず、PVもそうですね。先日、三代目J Soul BrothersのPV(「Unfair World」)を撮ったときも「これは10年後も観れますか? 20年後も観られる作品になっていますか?」ということを、スタッフ、キャストに対して常に問いかけました。スタイリングや撮り方など、何に対しても、何度も観直せることは重要だと思います。そして、ひとりでも多くの人に観てもらいたいと思うのであれば、洋画だ、邦画だという意識、枠は越えていかなくてはいけないとも思う。今回(の『忠臣蔵』をモチーフにしたストーリーで)も、人種なんかどうでもいい。スタッフもキャストも(仕事が)できる人なら、国籍なんて関係なかったんです。
――過去2作を含め、『ラスト・ナイツ』の舞台も架空の世界でした。既存の形に捕らわれたくないという思いが強いのでしょうか?
【紀里谷】 何が正しい、正しくないという議論に、あまり巻き込まれたくないんです。時代考証をして、コップの形が違うとか、そういう形に捕らわれることが、窮屈でしょうがない。様式美なんて、僕にとってはどうでもいいこと。重要なのは、本質の部分ですよね。
――つまり、作品のテーマということですか?
【紀里谷】 『CASSHERN』『GOEMON』(2009年)『ラスト・ナイツ』は、多分に同じようなテーマを描いていると思います。いわゆる不条理に対して、ですね。いま現在の日本でも、アメリカでも言えることですけど、圧倒的な不条理が行われていて、それに対して一個人がどう思うのか? その思ったことに対して、どういう行動を起こすのか? ということを描いています。CGの使い方などで、観え方が全然違うけど、僕のなかでは3部作になっている。ただ、昔はできなかったことが、できるようになってきました。例えば、以前は12色しかなかった絵の具が、120色くらいに増えて、さらに違う色も混ぜて作れるようになってきたような。そういう位置に立たせていただいているという(技量や環境の)変化はあります。SFや活劇だったり、観え方は違っても、結局は3作とも“愛とは何か?”という話をしているだけです。
◆映画を観てもらうためなら何でもする
――愛を描くうえで、とくに“復讐”というモチーフを気に入っているということは?
【紀里谷】 それはないです(笑)。復讐というのも単なる形ですよね。ある力が、もうひとつの力を踏みにじったときに起こる、憤りを体現化、行動に移していくという話で、その原動力となっているのは、やっぱり愛じゃないですか。『ラスト・ナイツ』で描かれるのも、君主に対する愛、そしてそれを踏みにじった方の原動力は、恐怖です。しょせんこの世界はすべて、恐怖と愛の対立でしかない。これは映画だけじゃなくて、社会を形成していくうえでも、普遍的なテーマですよ。恐怖と愛の闘い、光と闇のぶつかり合い、そのバランスでこの世界は成り立っているわけです。
――お話をうかがってみて、自由な方なんだと思い直しました。こだわりの映像美からほとばしる才気に、作品世界はすべて、ご自身の手で作り上げたい完璧主義者かと想像していましたが。
【紀里谷】 それは大きな誤解です(笑)。今だって、全世界30ヶ国で公開が決まっているのに、さびしいことに日本だけ配給が決まらなかったから、自分で配給宣伝もやっているんです。やらなくて済むなら本当はやりたくないけど、映画を観てもらうためなら、何でもする。それは特別なことではなくて、切実にひとりでも多くのひとにこの映画を観てもらいたいから。そういう意味では、僕は肩書きなんかどうでもいい。映画監督という肩書きよりも、映画を作っていられることが重要なんです。僕たちの仕事はもっと自由なもの。新しい可能性の提示だったり、楽しい、気持ち悪い、怖い、悲しいという、極めて曖昧な感情のやりとりをするなかで、形に縛られ過ぎてしまうと、柔軟さが失われて、なぜこの仕事をしているのかさえ、わからなくなってしまう気がします。
――最後に、全世界30ヶ国で公開が決まっているBIGな本作の“日本公開”に、紀里谷監督がこだわる理由とは何ですか?
【紀里谷】 日本は世界3番目のマーケットですからね。それも理由のひとつですけど……やっぱり日本の人に観てもらいたいっていうのはありますよ。日本の題材だし、日本人ですし。という思いがあるのに、なんでこんなに応援してくれないのかなあ? って悲しさもありますけどね(笑)。
(文:石村加奈)
◆ハリウッドへの憧れや映画へのロマンチシズムはない
――5年の歳月をかけて、ハリウッドで製作された新作映画『ラスト・ナイツ』。今回は、監督のほかに、プロデューサーも兼任されていますね?
【紀里谷】 そこまでやらないと。待っていてもなにも始まらないんですよ。写真家から(キャリアが)始まったときから、ずっと言っていることですが、誰も欲しいものを差し出してはくれません。これは断言します。とくに若い子たちに言いたいんですけど、欲しいものは、自分から取りに行かないとダメ。待っていては、いつまで経ってもなにもできません。
――3DCGスクール「Alchemy」の学長も務めていますが、日本の若者たちに対して、じれったさのようなものを感じているのですか?
【紀里谷】 よく若い俳優さんに「どうやったら、もっと俳優としていい映画に出られますか?」と聞かれるんですけど、「自分で映画を撮ってみたら?」って言うんですよ。「自分で映画を作って、主演で出れば、君は主演俳優になれるじゃないか」って。そのために脚本が必要なら、まずは脚本を書きなさいと。半端な気持ちでオーディションにいくつも行くくらいなら、まず脚本を書きましょうよ、というのが僕のやり方。僕は常にそうやってきました。お金がなければ集めに行くし、撮影監督がいなければ、自分で撮る。もしも俳優がいなければ出ますよ、自分で(笑)。今回も、資金集めに関わらなければこの映画が作れなかったから、プロデューサーもやりましたけど、本当なら監督だけやりたいですね。それでも今回は、ほかのプロデューサーもいましたから、今までより演出に専念できたと思います。
――初監督作『CASSHERN』(2004年)から、最新技術を貪欲に取り入れ、世界標準の映像を作り上げてこられましたが、ハリウッドの映画制作環境は、日本とは違いましたか?
【紀里谷】 現場でやることは日本もハリウッドも同じです。野球だって、サッカーだって、やってることは一緒でしょ? オーディエンスのリアクションが違うとか、どんなクルマに乗って現場に行くか、それくらいの違いでしかない。アメリカにはCMやPVの撮影でよく行っていたから、戸惑うことも言語の問題もなかったし。だからハリウッドデビューという意識も僕のなかにはなくて。単純に、僕のやりたいことには予算が必要で、これだけのスケールの映画を撮れる場所が、たまたまハリウッドだったってこと。可能にしてくれるなら、中国でも、ロシアでも、アフリカでもどこでもよかったんです。とてもシンプルな話なんですよ(笑)。僕には、ハリウッドへの憧れや、映画へのロマンチシズムはありません。唯一あるのは、自分が作りたいものを撮りたい、ただそれだけ。あとは“それを可能にするためには?”を考えて、非常にロジカルな選択肢で遂行していくってことです。
◆形に捕らわれることが窮屈でしょうがない
――「作りたいもの」というのは、初監督映画から一貫して、何度も観直せる映像作品ですか?
【紀里谷】 映画に限らず、PVもそうですね。先日、三代目J Soul BrothersのPV(「Unfair World」)を撮ったときも「これは10年後も観れますか? 20年後も観られる作品になっていますか?」ということを、スタッフ、キャストに対して常に問いかけました。スタイリングや撮り方など、何に対しても、何度も観直せることは重要だと思います。そして、ひとりでも多くの人に観てもらいたいと思うのであれば、洋画だ、邦画だという意識、枠は越えていかなくてはいけないとも思う。今回(の『忠臣蔵』をモチーフにしたストーリーで)も、人種なんかどうでもいい。スタッフもキャストも(仕事が)できる人なら、国籍なんて関係なかったんです。
――過去2作を含め、『ラスト・ナイツ』の舞台も架空の世界でした。既存の形に捕らわれたくないという思いが強いのでしょうか?
【紀里谷】 何が正しい、正しくないという議論に、あまり巻き込まれたくないんです。時代考証をして、コップの形が違うとか、そういう形に捕らわれることが、窮屈でしょうがない。様式美なんて、僕にとってはどうでもいいこと。重要なのは、本質の部分ですよね。
――つまり、作品のテーマということですか?
【紀里谷】 『CASSHERN』『GOEMON』(2009年)『ラスト・ナイツ』は、多分に同じようなテーマを描いていると思います。いわゆる不条理に対して、ですね。いま現在の日本でも、アメリカでも言えることですけど、圧倒的な不条理が行われていて、それに対して一個人がどう思うのか? その思ったことに対して、どういう行動を起こすのか? ということを描いています。CGの使い方などで、観え方が全然違うけど、僕のなかでは3部作になっている。ただ、昔はできなかったことが、できるようになってきました。例えば、以前は12色しかなかった絵の具が、120色くらいに増えて、さらに違う色も混ぜて作れるようになってきたような。そういう位置に立たせていただいているという(技量や環境の)変化はあります。SFや活劇だったり、観え方は違っても、結局は3作とも“愛とは何か?”という話をしているだけです。
◆映画を観てもらうためなら何でもする
――愛を描くうえで、とくに“復讐”というモチーフを気に入っているということは?
【紀里谷】 それはないです(笑)。復讐というのも単なる形ですよね。ある力が、もうひとつの力を踏みにじったときに起こる、憤りを体現化、行動に移していくという話で、その原動力となっているのは、やっぱり愛じゃないですか。『ラスト・ナイツ』で描かれるのも、君主に対する愛、そしてそれを踏みにじった方の原動力は、恐怖です。しょせんこの世界はすべて、恐怖と愛の対立でしかない。これは映画だけじゃなくて、社会を形成していくうえでも、普遍的なテーマですよ。恐怖と愛の闘い、光と闇のぶつかり合い、そのバランスでこの世界は成り立っているわけです。
――お話をうかがってみて、自由な方なんだと思い直しました。こだわりの映像美からほとばしる才気に、作品世界はすべて、ご自身の手で作り上げたい完璧主義者かと想像していましたが。
【紀里谷】 それは大きな誤解です(笑)。今だって、全世界30ヶ国で公開が決まっているのに、さびしいことに日本だけ配給が決まらなかったから、自分で配給宣伝もやっているんです。やらなくて済むなら本当はやりたくないけど、映画を観てもらうためなら、何でもする。それは特別なことではなくて、切実にひとりでも多くのひとにこの映画を観てもらいたいから。そういう意味では、僕は肩書きなんかどうでもいい。映画監督という肩書きよりも、映画を作っていられることが重要なんです。僕たちの仕事はもっと自由なもの。新しい可能性の提示だったり、楽しい、気持ち悪い、怖い、悲しいという、極めて曖昧な感情のやりとりをするなかで、形に縛られ過ぎてしまうと、柔軟さが失われて、なぜこの仕事をしているのかさえ、わからなくなってしまう気がします。
――最後に、全世界30ヶ国で公開が決まっているBIGな本作の“日本公開”に、紀里谷監督がこだわる理由とは何ですか?
【紀里谷】 日本は世界3番目のマーケットですからね。それも理由のひとつですけど……やっぱり日本の人に観てもらいたいっていうのはありますよ。日本の題材だし、日本人ですし。という思いがあるのに、なんでこんなに応援してくれないのかなあ? って悲しさもありますけどね(笑)。
(文:石村加奈)
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2015/11/13