11日に3歳年下の一般女性と結婚したTOKIOの国分太一(41)が15日、司会を務めるTBS系情報番組『白熱ライブ ビビット』(月〜金 前8:00)の生放送後、同局内で結婚報告会見を行った。これまでジャニーズ事務所所属グループの結婚は“1グループ1人まで”という法則があったが、TOKIOでは山口達也が既婚であることから「2人になりましたね」とニヤリとし、「都市伝説に近いのかな」と笑わせた。
■以下、一問一答
――結婚したという実感は?
「報告後、友達やメンバー、後輩からメールだったりをいただいて『こんなにも僕には友達がいたんだ』というくらい、今もまだ止まらない状態で、そういうことで結婚したんだなというか、そのくらいでしかまだ感じられてません」
――印象的なメッセージは?
「メンバーですね。収録の合間に『集まってもらっていいかな?』と言ったので、なんとなくメンバーは変な空気を感じながら楽屋に入り、畳の楽屋だったので僕が正座をしたので気づかれていたかもしれないけど『おめでとうございま〜す』みたいな。もっと驚くかと思ったけど、20年以上いるメンバーだとこういうリアクションなんだなと。僕はいろいろ聞かれるのが苦手なので、それを知ってか、あんまり盛り上げずにそれくらいでいいだろうという空気でいてくれたのが、うれしかった。番組でメッセージをいただいて、僕より歳下の長瀬(智也)と松岡(昌宏)からコメントいただいたんですけど、普段、カメラが回ってないと聞けないようなことを聞けたので、本当にうれしかった。でも全部忘れちゃいました。感激して泣いちゃったんです…まさか泣くとは思わなかったけど、僕だったら絶対ふざけると思うけど、二人はふざけないで伝えてくれたので。思い出すと今でもヤバイです」
――ファンのみなさんへの想いは?
「今まで全力で突っ走ってきて、ファンの皆様がいたから僕は今も走り続けることができている。ファンの皆様がいなかったら、一番かっこつけることができるステージもできなかったし、感謝の気持ちしかない。ここで立ち止まる気もないので、これを機に、もっと精進してかっこいいオッサンになれたら。今後とも音楽の方でも…!というか音楽のがメインですが(笑)、深みのある曲をだしていければ」
――結婚を決めたきっかけは?
「TOKIOが20周年を迎えたこと、2009年かそのくらいに大きな病気になりまして。手術をしました。お腹の腫瘍がこぶしくらいの大きさになって、摘出することになった。心身ともにつかれている時に、いろいろと助けてもらったことで今後、結婚という方向に行きたいと思った。ただ、自分は20周年を成功させたい夢もあったので、まずはその夢をとってしまったこと、妻が待っててくれたことは感謝しかない」
――かなり大きな手術だった?
「お腹を20センチ以上切った。デスモイド(腫瘍)というなかなか珍しい病気だった。半年検診を続けていたけど1センチずつ大きくなるということで、主治医の方が摘出したほうがいいねと。摘出から退院まで2週間くらいと思ったら、なかなかうまくいかず、1ヶ月くらいの入院の中で、通院しながら仕事をしていたことも。(妻に)そのバックアップをしてもらった」
――どのあたりを手術したんですか?
「右の腹筋ですね。3枚ある腹筋を取らなきゃいけない状態で、今もこぶしくらい穴が開いている。筋肉が再生することはない。腹筋使ったり歌を歌うと出てきそうになる。すいません、なんの会見だかわからないですね(笑)」
――改めて奥様に引かれたところは?
「(入院)当時、仕事をしていた妻は毎日、病室に来てくれた。体を動かすことができなかったので、身近なことを嫌がらずにやってくれた。思ったより大きな手術で相当落ちていたところを引っ張ってくれた。いつも勇気づけてくれた。とにかく尊敬できる。僕は日本語が下手くそなんです。でもそういうところもダメ出ししてくれたり、仕事で常識を忘れたりわからなくなることを誰よりも先に訂正してくれる真っ直ぐさ。タレントとしての成長より、一人の男としての成長を望んでくれています」
――両親の反応は?
「11日までに向け、なんとか報告したかったけどギリギリまで両親には言えなかった。妻と両親とご飯を食べてあいさつをしました。結婚することになったよと言ったらうちの両親は号泣しまして…。両親の涙を見ると、待っていたんだなと感じました。妻の両親にあいさつする時も、なんと伝えるか迷いました。とにかく気持ちを伝えようと、何を言ったか全く覚えていない。『ふつつかな娘ですがよろしくお願いします』と言われ、一瞬、ドラマで聞くやつだとその場を楽しみました」
――プロポーズの言葉は?
「ロマンチックでもなんでもないですが、なるべく普段の生活のなかで言えたらいいなと考えまして、家で『結婚してください』と夜に言いました。ご飯食べ終わってちょっとソファで休憩しようとしたとき。返事は一言、『はい、よろしくお願いします』でした」
――指輪は一緒に贈りましたか?
「指輪をちゃんとしなきゃいけないと思いまして、こういうのは計算でやっていくものだと思いますが、僕は『そうだ、忘れてた!』という状況で。指輪のサイズ自体もこのくらいかなと作ったんですけど、サイズが合わなかった。僕はなんとかはめさせたい、妻はなんとかはめたいとグイグイ入れてやっと入ったけど、うっ血してる状態だった(笑)。削るという方向になったので安心してます」
――7年間という交際期間で改めて思うことは?
「年月はどういうふうにいっていいかわからないけど、僕のやっている仕事は普通の仕事とも違うし、僕にわからない辛い思いもしているかもしれない。でもそういったことを口にしないでここまで来てくれたことは感謝しかないです」
――お子さんの予定は?
「まったく予定はありませんが、そういう質問が来ると考えていました。とにかく、2人とも子どもは好きなので、何人とかでなく元気な子が1人でも生まれたらうれしいとは2人で考えています。自分はスポーツが好きなのですが、年齢が41ということもあって小学校入学の時は、もう勝てないお父さんになっていると思うけど、なんとか声は出していきたい。どういう形でも運動会で目立てるような父ちゃんに。あ、でも主役は子どもでなくてはいけませんが」
――アイドルにしたい?
「子どもが望むのであれば。でも正直、全く考えてはいないです」
――ジャニーさんが「適齢期になったら結婚すべき」と発言していたが、それについてどう思うか?
「自分ではジャニーさんがそういうとは思わなかった。ジャニーさんに電話で報告したとき、どんなリアクションになるか不安だったし、ドキドキしたけどとにかく喜んでくれた。13歳のオーディションでの『You、入っちゃいなよ』から今に至るので、その方がこれだけ喜んでくれるのは本当に幸せ」
――ファンの中では結婚は“1グループ1人まで”という説があるようですが
「2人になりましたね。都市伝説に近いのかな」
――メンバーに改めて今後、報告する?
「メンバー1人ひとりからいろいろコメント、メールを11日にいただいたりプレゼントもらったり、いろいろとしてくれたけど、リーダーだけは何もない状態。3人からは何かしらもらったけど、リーダーからは何ももらってない。もしかしたら『俺はどうしたら』という状況になっているのかも?そっと肩をたたきたい」
――挙式披露宴の予定は
「今のところ全く考えていません。今後とも仕事の方を精進していきたいです」
■以下、一問一答
――結婚したという実感は?
「報告後、友達やメンバー、後輩からメールだったりをいただいて『こんなにも僕には友達がいたんだ』というくらい、今もまだ止まらない状態で、そういうことで結婚したんだなというか、そのくらいでしかまだ感じられてません」
――印象的なメッセージは?
「メンバーですね。収録の合間に『集まってもらっていいかな?』と言ったので、なんとなくメンバーは変な空気を感じながら楽屋に入り、畳の楽屋だったので僕が正座をしたので気づかれていたかもしれないけど『おめでとうございま〜す』みたいな。もっと驚くかと思ったけど、20年以上いるメンバーだとこういうリアクションなんだなと。僕はいろいろ聞かれるのが苦手なので、それを知ってか、あんまり盛り上げずにそれくらいでいいだろうという空気でいてくれたのが、うれしかった。番組でメッセージをいただいて、僕より歳下の長瀬(智也)と松岡(昌宏)からコメントいただいたんですけど、普段、カメラが回ってないと聞けないようなことを聞けたので、本当にうれしかった。でも全部忘れちゃいました。感激して泣いちゃったんです…まさか泣くとは思わなかったけど、僕だったら絶対ふざけると思うけど、二人はふざけないで伝えてくれたので。思い出すと今でもヤバイです」
――ファンのみなさんへの想いは?
「今まで全力で突っ走ってきて、ファンの皆様がいたから僕は今も走り続けることができている。ファンの皆様がいなかったら、一番かっこつけることができるステージもできなかったし、感謝の気持ちしかない。ここで立ち止まる気もないので、これを機に、もっと精進してかっこいいオッサンになれたら。今後とも音楽の方でも…!というか音楽のがメインですが(笑)、深みのある曲をだしていければ」
――結婚を決めたきっかけは?
「TOKIOが20周年を迎えたこと、2009年かそのくらいに大きな病気になりまして。手術をしました。お腹の腫瘍がこぶしくらいの大きさになって、摘出することになった。心身ともにつかれている時に、いろいろと助けてもらったことで今後、結婚という方向に行きたいと思った。ただ、自分は20周年を成功させたい夢もあったので、まずはその夢をとってしまったこと、妻が待っててくれたことは感謝しかない」
――かなり大きな手術だった?
「お腹を20センチ以上切った。デスモイド(腫瘍)というなかなか珍しい病気だった。半年検診を続けていたけど1センチずつ大きくなるということで、主治医の方が摘出したほうがいいねと。摘出から退院まで2週間くらいと思ったら、なかなかうまくいかず、1ヶ月くらいの入院の中で、通院しながら仕事をしていたことも。(妻に)そのバックアップをしてもらった」
――どのあたりを手術したんですか?
「右の腹筋ですね。3枚ある腹筋を取らなきゃいけない状態で、今もこぶしくらい穴が開いている。筋肉が再生することはない。腹筋使ったり歌を歌うと出てきそうになる。すいません、なんの会見だかわからないですね(笑)」
――改めて奥様に引かれたところは?
「(入院)当時、仕事をしていた妻は毎日、病室に来てくれた。体を動かすことができなかったので、身近なことを嫌がらずにやってくれた。思ったより大きな手術で相当落ちていたところを引っ張ってくれた。いつも勇気づけてくれた。とにかく尊敬できる。僕は日本語が下手くそなんです。でもそういうところもダメ出ししてくれたり、仕事で常識を忘れたりわからなくなることを誰よりも先に訂正してくれる真っ直ぐさ。タレントとしての成長より、一人の男としての成長を望んでくれています」
――両親の反応は?
「11日までに向け、なんとか報告したかったけどギリギリまで両親には言えなかった。妻と両親とご飯を食べてあいさつをしました。結婚することになったよと言ったらうちの両親は号泣しまして…。両親の涙を見ると、待っていたんだなと感じました。妻の両親にあいさつする時も、なんと伝えるか迷いました。とにかく気持ちを伝えようと、何を言ったか全く覚えていない。『ふつつかな娘ですがよろしくお願いします』と言われ、一瞬、ドラマで聞くやつだとその場を楽しみました」
――プロポーズの言葉は?
「ロマンチックでもなんでもないですが、なるべく普段の生活のなかで言えたらいいなと考えまして、家で『結婚してください』と夜に言いました。ご飯食べ終わってちょっとソファで休憩しようとしたとき。返事は一言、『はい、よろしくお願いします』でした」
――指輪は一緒に贈りましたか?
「指輪をちゃんとしなきゃいけないと思いまして、こういうのは計算でやっていくものだと思いますが、僕は『そうだ、忘れてた!』という状況で。指輪のサイズ自体もこのくらいかなと作ったんですけど、サイズが合わなかった。僕はなんとかはめさせたい、妻はなんとかはめたいとグイグイ入れてやっと入ったけど、うっ血してる状態だった(笑)。削るという方向になったので安心してます」
――7年間という交際期間で改めて思うことは?
「年月はどういうふうにいっていいかわからないけど、僕のやっている仕事は普通の仕事とも違うし、僕にわからない辛い思いもしているかもしれない。でもそういったことを口にしないでここまで来てくれたことは感謝しかないです」
――お子さんの予定は?
「まったく予定はありませんが、そういう質問が来ると考えていました。とにかく、2人とも子どもは好きなので、何人とかでなく元気な子が1人でも生まれたらうれしいとは2人で考えています。自分はスポーツが好きなのですが、年齢が41ということもあって小学校入学の時は、もう勝てないお父さんになっていると思うけど、なんとか声は出していきたい。どういう形でも運動会で目立てるような父ちゃんに。あ、でも主役は子どもでなくてはいけませんが」
――アイドルにしたい?
「子どもが望むのであれば。でも正直、全く考えてはいないです」
――ジャニーさんが「適齢期になったら結婚すべき」と発言していたが、それについてどう思うか?
「自分ではジャニーさんがそういうとは思わなかった。ジャニーさんに電話で報告したとき、どんなリアクションになるか不安だったし、ドキドキしたけどとにかく喜んでくれた。13歳のオーディションでの『You、入っちゃいなよ』から今に至るので、その方がこれだけ喜んでくれるのは本当に幸せ」
――ファンの中では結婚は“1グループ1人まで”という説があるようですが
「2人になりましたね。都市伝説に近いのかな」
――メンバーに改めて今後、報告する?
「メンバー1人ひとりからいろいろコメント、メールを11日にいただいたりプレゼントもらったり、いろいろとしてくれたけど、リーダーだけは何もない状態。3人からは何かしらもらったけど、リーダーからは何ももらってない。もしかしたら『俺はどうしたら』という状況になっているのかも?そっと肩をたたきたい」
――挙式披露宴の予定は
「今のところ全く考えていません。今後とも仕事の方を精進していきたいです」
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2015/09/15