初の冠番組×富士山ライヴ 長渕剛ロングインタビュー(1/3)
昨年の『NHK紅白歌合戦』で新曲「明日へ続く道」を熱唱し、日本中に魂の叫びを響かせた、長渕剛(58)。1978年のデビューから37年、歌手人生の集大成として、今年8月に世界遺産・富士山の麓に10万人のファンを集めて、2004年の桜島以来のオールナイト・ライヴを開催する。
全身全霊をかけて大勝負に挑まんとする長渕は、ライヴに先駆けて1月からBSフジで初の冠番組『ブチまけろ!炎の魂―長渕炎陣―』をスタートさせた。混沌とする現代で生き方に悩む若者たちと円陣を組み、とことん熱く語り合い、メッセージとして生歌を送る。
なぜ今、自らが中心となってテレビ番組をスタートさせたのか? そして、命がけで臨む富士山ライヴに向けて、いま何を考えているのか? それを直接聞くべく、ORICON STYLEではインタビューを敢行。丁寧に、そして熱く語られる貴重な彼の肉声をじっくりと読んでいただきたい。
■カリスマ性を放り投げてでも、テレビの内側からテレビを壊したい
――なぜこのタイミングで、自身の名前を冠したテレビ番組を始めようと思ったのでしょうか。
いまのテレビが面白くないんで、微力なんですが、そんなテレビを変えたいなと思ったのがきっかけです。自分もかつては歌番組やドラマに出させてもらって、テレビの裏側をたくさん見てきたけど、いまのテレビは「枠」に収めることばかり考えて番組を作っている。「映っちゃいけないものを見切れさせるな!」「台本に書いていないことは話すな!」「スポンサーの意向にそぐわない発言はするな!」って、制約の枠だらけ。
だから僕は、「枠」からはみ出すことを大事にしたくて、テレビ局の意向も、スポンサーの意向も一切関係ない番組をやってみようと思ったんです。
――確かにこの番組は、民放のBSフジなのにスポンサーなしで放送しています。
スポンサーがあると、本当に言いたいことが言えなくなっちゃう。僕らはそういうのは一切やめようよ、と。泣き出しても、怒っても、ケンカが始まっても、汚い言葉を使ってしまっても、いいじゃないか。「枠」に当てはめようとする今のテレビとは真逆の発想で、とことん個人を尊重したいし、そこに人間の真実味が出てくるはずだと思っています。
今のテレビは、個人を尊重しているようで、完全に無視している。スポンサーやテレビ局の思想があって、それにそぐわないシリアスな話をすると「笑いでごまかしなさい」「お茶を濁しなさい」という暗黙の命令に従って、司会者が瞬間的に頭を使って上手くごまかしていく。それは、スポンサーがテレビという「御本尊」をコントロールする存在だからです。
――テレビが「御本尊」の意味をもう少し掘り下げてもらえますか。
そもそも、テレビというメディアが1964年の東京オリンピックをきっかけに、日本中の家庭に普及して以来、日本人にとってテレビが「御本尊」になってしまった。朝起きたらテレビをつけ、ご飯を食べる時も休憩する時もテレビを見て、寝る寸前までテレビを見続ける。いつの間にかみんながテレビに影響され、テレビからの情報を全て正しいと思って信じてしまっている。これは影響というより「洗脳」です。この100年というタームで日本を考えた時、日本国民みんながテレビ教の信者になって、テレビを心の拠り所にして生きてきたんです。
あくまで私見ですが、僕は「御本尊」と仰ぎ立ててきたテレビという存在が、今の日本を良くない状況にしていると思っています。特に若い連中は、ある意味奈落の底に突き落とされたと感じています。なので、微力かもしれませんが、そういうモノではない番組をあえてそのテレビに投石してみたいな、と思っています。
――長渕さんは、普段からテレビはご覧になりますか?
意外に思われるかもしれませんが、けっこう見ます(笑)。特に小さい頃なんて『鉄腕アトム』を見てまねをしたり、東京オリンピックで裸足で走るアベベに感動して、すぐに自分も裸足で外を走り回ってみたり。そんな少年が、自分がテレビに出る立場になって、テレビの裏側とか「枠」を知るようになった。そんなテレビというものを、あえてテレビの内側から壊していきたいと思って、今まで築いてきた自分のカリスマ性も何もかも放り投げて(笑)、「テレビでここまでやるんだ」というところをストレートに見せていきたいんです。
――出演しているメンバーは、タレントではない素人の若い人たちばかりですね。
今の若い子たちは、悩みがなさそうに見えるけど、みんな悩んでいる。悩みを公衆の面前でさらけ出すので、ある部分は守ってあげなきゃいけないし、違うと思うところは僕の意見をハッキリという。僕が若いころは「こういうことを言ってくれる人がいて良かった」という大人がいましたが、今の若い人たちに本当のことを言ってくれる大人がいない。だから、自分が10代の子たちにとって、そういう大人になってあげたいんです。(2へ続く)
昨年の『NHK紅白歌合戦』で新曲「明日へ続く道」を熱唱し、日本中に魂の叫びを響かせた、長渕剛(58)。1978年のデビューから37年、歌手人生の集大成として、今年8月に世界遺産・富士山の麓に10万人のファンを集めて、2004年の桜島以来のオールナイト・ライヴを開催する。
全身全霊をかけて大勝負に挑まんとする長渕は、ライヴに先駆けて1月からBSフジで初の冠番組『ブチまけろ!炎の魂―長渕炎陣―』をスタートさせた。混沌とする現代で生き方に悩む若者たちと円陣を組み、とことん熱く語り合い、メッセージとして生歌を送る。
なぜ今、自らが中心となってテレビ番組をスタートさせたのか? そして、命がけで臨む富士山ライヴに向けて、いま何を考えているのか? それを直接聞くべく、ORICON STYLEではインタビューを敢行。丁寧に、そして熱く語られる貴重な彼の肉声をじっくりと読んでいただきたい。
■カリスマ性を放り投げてでも、テレビの内側からテレビを壊したい
――なぜこのタイミングで、自身の名前を冠したテレビ番組を始めようと思ったのでしょうか。
いまのテレビが面白くないんで、微力なんですが、そんなテレビを変えたいなと思ったのがきっかけです。自分もかつては歌番組やドラマに出させてもらって、テレビの裏側をたくさん見てきたけど、いまのテレビは「枠」に収めることばかり考えて番組を作っている。「映っちゃいけないものを見切れさせるな!」「台本に書いていないことは話すな!」「スポンサーの意向にそぐわない発言はするな!」って、制約の枠だらけ。
だから僕は、「枠」からはみ出すことを大事にしたくて、テレビ局の意向も、スポンサーの意向も一切関係ない番組をやってみようと思ったんです。
――確かにこの番組は、民放のBSフジなのにスポンサーなしで放送しています。
スポンサーがあると、本当に言いたいことが言えなくなっちゃう。僕らはそういうのは一切やめようよ、と。泣き出しても、怒っても、ケンカが始まっても、汚い言葉を使ってしまっても、いいじゃないか。「枠」に当てはめようとする今のテレビとは真逆の発想で、とことん個人を尊重したいし、そこに人間の真実味が出てくるはずだと思っています。
今のテレビは、個人を尊重しているようで、完全に無視している。スポンサーやテレビ局の思想があって、それにそぐわないシリアスな話をすると「笑いでごまかしなさい」「お茶を濁しなさい」という暗黙の命令に従って、司会者が瞬間的に頭を使って上手くごまかしていく。それは、スポンサーがテレビという「御本尊」をコントロールする存在だからです。
――テレビが「御本尊」の意味をもう少し掘り下げてもらえますか。
そもそも、テレビというメディアが1964年の東京オリンピックをきっかけに、日本中の家庭に普及して以来、日本人にとってテレビが「御本尊」になってしまった。朝起きたらテレビをつけ、ご飯を食べる時も休憩する時もテレビを見て、寝る寸前までテレビを見続ける。いつの間にかみんながテレビに影響され、テレビからの情報を全て正しいと思って信じてしまっている。これは影響というより「洗脳」です。この100年というタームで日本を考えた時、日本国民みんながテレビ教の信者になって、テレビを心の拠り所にして生きてきたんです。
あくまで私見ですが、僕は「御本尊」と仰ぎ立ててきたテレビという存在が、今の日本を良くない状況にしていると思っています。特に若い連中は、ある意味奈落の底に突き落とされたと感じています。なので、微力かもしれませんが、そういうモノではない番組をあえてそのテレビに投石してみたいな、と思っています。
――長渕さんは、普段からテレビはご覧になりますか?
意外に思われるかもしれませんが、けっこう見ます(笑)。特に小さい頃なんて『鉄腕アトム』を見てまねをしたり、東京オリンピックで裸足で走るアベベに感動して、すぐに自分も裸足で外を走り回ってみたり。そんな少年が、自分がテレビに出る立場になって、テレビの裏側とか「枠」を知るようになった。そんなテレビというものを、あえてテレビの内側から壊していきたいと思って、今まで築いてきた自分のカリスマ性も何もかも放り投げて(笑)、「テレビでここまでやるんだ」というところをストレートに見せていきたいんです。
――出演しているメンバーは、タレントではない素人の若い人たちばかりですね。
今の若い子たちは、悩みがなさそうに見えるけど、みんな悩んでいる。悩みを公衆の面前でさらけ出すので、ある部分は守ってあげなきゃいけないし、違うと思うところは僕の意見をハッキリという。僕が若いころは「こういうことを言ってくれる人がいて良かった」という大人がいましたが、今の若い人たちに本当のことを言ってくれる大人がいない。だから、自分が10代の子たちにとって、そういう大人になってあげたいんです。(2へ続く)
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2015/02/07