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大泉洋『自ら語る大泉洋論!破天荒なところはない慎重な男!?』
人前に立つのが嫌いだった中高時代、演技を始めた大学時代
大泉晴夫は、人生で何をしてもうまくいかなくて、それを両親のせいにしている人なんですけど、僕はそういうところがなくて。仕事に関しても自分の実力以上に周りから認めてもらえてきた人生なので、晴夫の境遇には共感するところはあまりないんですけど、だからと言って晴夫の気持ちがわからなくはないんです。僕の場合は、両親に愛情をかけてもらったぶん、それに背いたりダメな道を歩んでしまったときに、愛情を裏切ったようで申し訳なく思うことがあります。そういう感覚として、わかる気がしました。
――これまでの大泉さんに、晴夫のような憂鬱な部分をあまり見たことがないのですが、『水曜どうでしょう』でご一緒されていて事務所の会長でもある鈴井貴之さんが、書籍『まるごと一冊大泉洋!』のあとがきで、最初に出会ったときの大泉さんのことを「不機嫌とまでは言わないが、どこか世の中を斜に構えながら見ている風であった」と書いていたのを見て、大泉さんにもそんな部分があったんだ!とびっくりしたんです。
大泉どうだろうなあ。そんなつもりはなかったんですけどね。やる気がないわけじゃないんだけど、野望を語ったり、熱いところを見せたくないんですよ。それが、会長にはそういう風に見えたのかも。確かに中学や高校の頃は学校祭などの行事で人前で笑いを取るようなパフォーマンスを見て、実はうらやましいんだけど斜に見ているところはあったかもしれないですね。僕は子どものころからおもしろかったし、中学、高校でもおもしろかったんですが(笑)、でも人前に立つのは嫌いで、自分からアクションを起こす奴ではなかったんです。だから、部活の発表会みたいなときに人前に立っている人を見て、「そんなにおもしろい?」なんて思ってる嫌な奴でしたねー(笑)。人前に積極的に立ってみようと動いたのは、大学で演劇を始めたときくらいです。それまでは、晴夫に似た部分もあったかもしれません。
――大学で演劇を始めてからは、自分で人前に出ようとする人生が始まったんですか?
大泉初めて知らない人の前で自分の笑いが通用するか試そうと思ったんです。今思えば、大学で演劇研究会に入ったことが、僕の踏み出した唯一の一歩かもしれない。で、初めて舞台に立ったわけですが、やっぱりウケるんですよ(笑)。笑わせるつもりがないシーンでも笑いが起きちゃって、演出家に怒られたり。あの頃は“笑気”を制御できませんでした(笑)。その舞台がきっかけでもうテレビに出始めて、在学中に『水曜どうでしょう』も始まり、あっという間に北海道での知名度も上がりました。でも、もうひとつ僕が踏み出した一歩があるとするなら、30歳くらいのときに東京で役者の仕事を始めたことですかね。
――それは、どういう理由からだったんですか?
大泉僕の昔の座右の銘は「人生半身浴」だったんです。もちろん、そんな言葉はないんですけどね。背伸びしても仕方がない、自分にできることを楽しく緩くやっていけばいい、自分を追い込まないでいいと思っていたんです。だから、当時は北海道でみんなによくしてもらって、仲間もいて、いい番組もあって、それを捨ててまで東京に行く理由はないと思っていました。でも、あるとき、このまま北海道のバラエティに出続けていくだけで、果たして北海道の人は見続けてくれるのだろうか、応援し続けてくれるのだろうかって考えたんです。今のままで満足しているだけでは現状すら維持できない、そう考えたときに、お芝居をきちんとやってみようと思いました。それで事務所の人と話し合って、東京で役者の仕事をしようということになったんです。それが30代でした。
その場で何を思うか、何を言うかが大事
大泉ひとりさんは、僕のことをノリで生きている人だと思っていたらしいんですよね(笑)それで仕事してみたら、「ちゃんと考えてたんですね」って。イヤ当たり前でしょ、考えますよそりゃって話でね(笑)。僕は役者なので、自分の役のことをとことん考えるわけです。そのとき、映画を観る人からするとおかしくはないんでしょうけど、自分が演じるうえではちょっと自然じゃない部分があるとしますよね。でも、疑問を持ったままで撮影に入いるのは嫌なので、その疑問を監督に伝えるわけです。で、それを聞いたひとり監督が、「なるほど、そうかもしれないですね。じゃあこうしましょう」ということは多かったですね。そういうやりとりから、「理論的」だとおっしゃられたんでしょう。
――今までも基本的にはそういう姿勢なんですか?
大泉そうですね。もちろん、僕の意見が間違っているかもしれないので、フラットな気持ちで相談してみて、監督からの解釈を聞いて納得できればそのままでいくこともありますし、「なるほど大泉さんの言うこともわかる」と変わることもあるし。どっちの方向にいっても、映画にはプラスだと思うので。
――今回の『青天の霹靂』では、そういうやりとりの結果、変化したシーンもあったんでしょうか?
大泉ありますね。例えば、映画の後半で、柴咲コウさん演じる母親の悦子に会いに病院に行くシーンがあるんです。その病室に紙で折ったペーパーローズがあるんですが、それは、ひとりさん演じる父親の正太郎が悦子にプレゼントしたものなんですね。でも台本では次のシーンで僕がそのペーパーローズを持って歩いているんです。でも、僕がそのペーパーローズを持ち出しているのは、なんか変だと思ったんですね。「すみません、その花、持って帰っていいですか?」っていうやりとりがあったことになるので。だからと言って、僕がペーパーローズを持っていないとそのシーンは成立しないので、じゃあどうするかっていうことを相談したりして、変わったことはありました。映画の現場ではそういうことの繰り返しです。よく役作りについて聞かれるんですけど、家で考え込むことはなくて、現場にきて、そこにあるセットを見たり、共演者と実際にお芝居をしたりするなかで、対応していくことが多いです。ひとりで考えても、相手のお芝居によって変わってしまうので。自分では相手が怒鳴るようなシーンだと思っていても、そこは静かに言うんだ……みたいなこともあるわけですし。
――6月にフジテレビNEXTライブ・プレミアム/フジテレビNEXTsmartで放送、配信される福田雄一さんの『「the TEAM NACS perfect show」〜なんでこんな時に〜』も、そういう「ここでこうくるんだ!」がたくさんありそうですね。
大泉あれは普段のお芝居の仕事のやり方とは違うところはあるんですけどね。台本はあるけれど、ハプニング性を楽しむスタイルの番組だから。でも、僕の仕事は、バラエティにしても、役者をやるにしても、その場で何を思うか、何を言うかっていうのが、大事なのかもしれないですね。
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青天の霹靂
関連リンク
・<インタビュー後編>辞める美学よりも続ける美学を選ぶ
・<青天インタビュー連載 第2弾!!>劇団ひとり監督「やりつくす!」
・大泉洋 撮り下ろし☆PHOTO GALLERY☆
・『青天の霹靂』公式サイト